08/02/29 22:45:35 Xlq+/CK50
まあ、天領の預け地が
最盛期で10万石だから
堀田氏時代のmax8万石の時期を想定したら、松江と同規模の城下町と言うことも可能かもね。
松代も沼田領改易で、家老の蒲原氏など沼田衆が浪人しないで、本家帰参が叶うまで
maxで13万石。
沼田では本家の10万石に近付こうと無理して検地や新田開発を強行したから、実高は倍あったとされるからね。
確かに中世に守護の小笠原氏の居城だった時期は信濃国の国府で「信府松本」の呼称があった。
一般的に城下町の人口(藩全体の領内人口ではないよ)は、石高の1/10万人が大雑把な目安とされる。
金沢10万人、江戸(単純に゛城下町゛と定義も疑問だが)は100万人(旗本知行地合わせて700万石で70万人から巨大都市へ)
松代は、だから1万3千人いれば、上田は5千800人、松本は6千人から8千人が標準かというと
一番落差があって、もっとずっと多かったのは松本と言える。