07/10/14 10:54:53 RfjPTdSh0
宗教とは他者に非寛容であり、特定の価値観への同意を求めることであることにもっと留意すべき。
道徳が宗教になっているのも特定の宗門の生徒への教育を目的としているから許されるという認識はきちっと持つべき。
ミッション系が精神教育だというのは正に特定の価値観そのもの。
中教審における識者からのヒアリング概要から一部引用します。
『とかく宗教界の人間は「宗教平和」ということを言うが、宗教の基本は、自分たちとそれ以外を区別することである。
キリスト教では異端を審判し、ユダヤ教の教義の基本は神と選ばれた民であるイスラエルとの契約であり、神道でも国を治めるべしとの神の命令から神話や国造りが始まっている。
基本法第1項の「寛容の態度」が必要なのは、もともと他宗教に寛容ではないから。
公立学校には色々な人がいるので、特定の宗教を教えることができないのは当然である。』
『一方で、私学については、学教法施行規則(第24条第2項)において、「宗教をもって前項の道徳に代えることができる」とある。
いろいろな人が集まる公立学校で宗教教育をすることは押しつけになり、信教の自由に反するが、決まった宗門の生徒が集まる私学では、宗教が道徳教育に当たるとの認識は正しい。』
阿部美哉氏(國學院大学長)の意見陳述の概要
(中央教育審議会第20回基本問題部会(平成14年12月19日)より)
URLリンク(www.mext.go.jp)