06/12/03 20:07:04 UlDPjrrY0
昭和40年後半
清風は普通科と電気科で私学の底辺
清風南海は少数クラスをうたい文句で、
公立中堅落ちを確保し徹底教育し実績をあげる。
大阪私学のトップは桃山学院、次いで上の宮、
星光、明星(星光、明星はぼんぼん学校で有名だった)
いずれも清風南海よりはかなり上だった。
しかし、当時は成績上位者は公立高校へ進学し、
北野、大手前、天王寺等は京大や阪大に100名前後の合格者をだしていた。
(中学卒業生500名で公立高校普通科へ行けのは150番くらいまでであとは
工業、商業高校や私立高校にいっていた時代だった。)
昭和50年半ば頃から急速に公立高校が低迷し、私学が急成長した。
昭和50年当時と比べると
急成長したのは 清風、開明(大阪貿易学院)四天王寺
成長したのは 星光、明星
低迷しているのは 桃山(当時のトップ校)プール(当時のトップ校)、上宮
変わらないのは 浪速、大阪女学院、関大一高