08/07/18 23:57:02 GYhV0HuA0
とりあえず、サテで学期が一通り終わった。
予備校来てホントによかったと思う。
問題に対しての見方が変わった。
自分ひとりでやってると雑になるとことか教えてもらえることで修正できるから力がついたなーって思う。
もちろん、前進するための高級な起爆剤みたいなものだと俺は思ってるがな。
自分で漕ぐ力がないとどんなにいい講師でも意味がない。
とりあえず、西がここの書き込みを結構気にしてるのがわかったな。
随時、チェックでもしてるんだろうなたぶん。
本人は知られてないだろうと思ってるかもしれんが感がいい人はすんなりわかると思う。
引き合いに出すテーマをもうちょっと逸らすとかしないとぴーんと来ますお。
何か、今まで溜めてたことに対して一通り認識してますぐらいのコメントがあってちょっとワロタわ。
根が良い人で感受性が豊かなのに、逆に言えばそれゆえに色々損してきたんだろうなあって脈略がなかったけど肌で感じられたわ
俺ももっと勉強して自分の中にあるポテンシャルというよりはカオスをより明確化できるようになりたいですな
とりあえずトマトの話が好きらしいからそれに対して俺の異論でも言ってみると
自分の中にある10000っていうのは間違いで世界の中における一人の人間、つまり世界そのものの可能性が10000あるだけであって個人に10000あるわけではないのだと。
イッツ イン ミーではなく イッツ イン ワールド。
トマトの話だって結局はトマトを主体ではなく世界を主体にすれば邪魔してる要因すらも世界の一部として捉えられるわけで結局のところ世界という大きな手の平から逃れることはできない
これを人間に応用させれば、環境や邪魔してる要因も結局はその人間のポテンシャルの一部だということになる。
もっといえばその邪魔してる要因を認識できる客体そのものはどうなのかと俺は問いたい。トマトの話だってトマトを人にしたらトマトの可能性を開花させたのは神のようなものだ。
トマトだけではどうしようもできない。
まあ、結果だけ見ればすげーっ素敵だ!て思うけど、人間学に応用はできないね。
所詮科学は神の視点からしか物事を分析できない。
いや、西からすればそのトマトの障害をどけてやるのが教師なんだと言いたいのかもしれんが
それなら神の視点からの科学の話を持ち出すよりはネズミの実験で集団で生活するネズミとひとりで生活させるネズミとの知能の比較と文化的継承の話でもさせたほうがより正確だと思う。
まあ、どうでもいいが。何かどうしようもない事実を受け入れろといってみたりしてる割に最後は自分を殺して腑に落ちない話をしていたようだったから妙にひっかかったから書き込みしてみた。
俺は何にしても接合性がない事実に敏感だからなあ。
たぶんこの辺を認識できずに論理性というか悟性のかけるアホ受験生に講釈してもただ単なる可能性すげーの話で終わるだけだと思う。
まあ、それが狙いなんだろうがな。実際ここに書き込んでる奴の中に西先生の真意に迫れる奴はおそらくいないだろう。
かくいう俺もまたその一人かもしれんが。人間間違ってる道程の中にいるとその間違いに気づかないから怖いのう。