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橋本左内(1834~1859)
幕末の勤皇の志士 医師 政治思想家
福井城下常磐町(現春山2丁目)で外科医の子として生まれました。学問が好きで
10歳の時「三国誌」を通読していたと言われています。15歳で「啓発録」を著しました。
1849年大阪に出て、緒方洪庵の適塾で蘭学医学を学び、帰郷して家督を継ぎ1
9歳で藩医となりました。1854年江戸に出て洋学を学び、藩主に認められ、
(このころには、英語・ドイツ語を習得)藩校明道館の学監となり、実学精神をと
なえて学風を一新し、洋書習学所を設置し洋楽の積極的摂取に乗り出すと同時に、
藩の重臣達と共に藩政改革を行い、物産振興の裏打ちによる、積極的開国貿易論を
提唱し、攘夷開国論へ導くなど手腕を振るいました。
藩主松平慶永の側近者として京へ登り、将軍の後継ぎ問題や、幕府の外交政策につ
いて、大老の井伊直弼に反対したため(一橋慶喜の擁立と、開港説)、安政の大獄
で訊問を受け、身分を越えた行為として死罪を申し渡され、江戸伝馬町の獄舎にて
26歳の若さで処刑され、無念の死をとげました。
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