08/05/06 08:53:23 HBrfqwGB0
【2005年7月】
・謹慎が解けるも、強制的に電話番に格下げ命令が出たので、それを拒否。対策を練るため4日間休暇を取り、関係各社に謹慎中のお詫び行脚(真面目だよね)。
・再度大原社長と会談。退職を宣言するも却下され、再度電話番を強制される。負けじとこちらも却下。その後、却下のラリーが続く。
・退職届を出した翌日、社長から関西ヤクザバリの暴力+恫喝を受け、命の危険を感じたため逃走。病院に行き、負傷した証拠を取るために診断書をとる。
・大原社長のご乱心っぷりを報告するために本社にクレームを付けに特攻する。経営支援本部の稲村角雄氏が対応するも、大原社長の一連の行為を完全拒否。結局、退職はイキになる。
・月末、給料と賞与が不当に減っていたことをまわりに報告すると、「埋め合わせは社内の備品をヤフオク出品でOKw」とのアドバイスを受け、その週の休日に社屋に潜入。