06/08/24 21:54:38
少年のころ,一時,講談の本に凝ったことがあった。
その中の,確か『雪之丞変化』だったと思うが,大名屋敷に3人で忍び込む場面があった。
暗闇の中でも互いに小さな咳払いをすればその音だけで人物が特定できるので,それを行動の合図に使うという。
そうか。「山!」「川!」などと言わなくてもいいのだな,と妙に感心した。
この講談本などを貸してくれたのが隣に住むAさんだった。
代々の医者で,倉一つ分が本で埋まっていた。
中学生に読めるものも多かった。
本を借りに行くといつもAさんは,「どんどん読みなさい」と自分で見つくろって,両手に抱えきれないぐらいの量の本を貸してくれた。
その10年ほど前,第2次世界大戦の末期,Aさんは,海軍で駆逐艦に乗っていたが,敵の魚雷を受けて艦が爆発炎上した。
その爆発で親友が死んだ。
徐々に傾きながら沈んでいく船の甲板で,せめてもの遺品にと,Aさんは親友の服のボタンを二つ小刀で切り取り,内ポケットにあった写真とともに懐にねじ込むと,夢中で夜の海に飛び込んだ。
命長らえて,写真に映っている親友の若い夫人と子どもに会って彼の最期の姿を伝えることが自分の責務と感じたのだ。
暗い海を数時間漂流して他の日本船に救助されたAさんは,間もなく終戦を迎え,内地に帰ってきた。