06/07/20 23:40:06 oTpjQ7wt
>>674
「表現の自由」を標榜していても、それだけでは連帯できないぞ。
例えば人権法反対運動と漫画規制反対運動も、どっちも「表現の自由」を掲げているが同居・連帯できるか?
まず無理だ。
確かにどっちも「表現の自由」を求めているが、方法論もロジックもまるで違うからだ。
さらに「表現の自由」と叫ぶだけでは、もう「表現の自由」は守れないのが現状。
規制派はプライバシー権やら健全育成やらあれこれ持ち出して、「表現の自由」を切り崩しにかかってる。
そして司法も社会もそれを追認している。
少女ヌード規制を「表現の自由を侵害しない」とした大阪高裁判決に限らず、立川ビラ裁判などがいい例。
だから規制派の主張を崩す別のロジックを用意しなきゃならんのが現実。
そのロジックで「表現の自由」を守るという手法になってる。
例えば人権法では、人権委員会の不透明性と権限の巨大さを持ち出して政治家を説得したし、二次ではフィクション論がそれにあたる。
じゃあ三次は「表現の自由」を守り、規制派の主張を崩すロジックを持ってるのか?って事。
二次がフィクション論に立脚に規制反対をしている以上、三次との連帯はありえない話。
それが理解できてるかって事だ。