07/01/04 14:24:56 AMm3uosE
奥西氏がニッカリンTを詰めて犯行後に焼却したとされる竹筒に
ついても疑問がある。
まず、なぜ竹筒に新聞紙の栓なのかということである。
奥西氏は竹筒にニッカリンTを詰める際、ナイロン手袋をはめた
ことになっている。つまり、ニッカリンTが皮膚に付着するのも
危険だと考えていた証左ということであろう。
しかし一方、新聞紙を破いて丸めたものを栓にするなどというのは
杜撰すぎる。ニッカリンTはその蒸気を吸引するだけでも危険なので
あるから、液が染みる新聞紙を栓にするなど極めて不可解である。
ナイロン手袋をはめる慎重さと、新聞紙を栓にする杜撰さは経験則上
両立しない。
次に、奥西氏は囲炉裏で燃やすことによって証拠隠滅できるから竹筒
を用いたことになっている。
しかし、実際に実験を行った結果によると、竹筒は原形をとどめ、黒く焦げて
いただけであった。
蒸気を吸引すること自体が危険なニッカリンTが入ったままの竹筒を至近距離
の囲炉裏にくべるというのもまた不合理であろう。
しかも、囲炉裏の火力は奥西氏も知っているのであるから、竹筒が完全燃焼
して灰になるなどと考えるのも安直すぎる。
竹筒は結局出てこなかった。奥西氏はニッカリンTがまだ半分ほど
残っている竹筒を囲炉裏にくべたことになっているが、有機燐化合物も
灰の中からは検出されなかった。
検察は灰は掃き出してしまって消失したので有機燐化合物も検出されな
かったと言うが、一方、竹筒の燃え残りと称する「かけら」を提出した。
しかし、この「かけら」なるものも実験結果と矛盾する。
結局のところ、竹筒などはもとより存在しなかったのである。
竹筒を鋸で切った残りは風呂の焚口に投げ入れて焼いたことになっており、
これも出てこない。鋸屑と竹筒との同一性、切断時期についてのきちんとした
鑑定がなされた形跡もない。結局、なにひとつ証拠は出てこないのである。