03/06/10 21:37 QLpQF4wy
第二には、日本軍国主義が南京に手痛い打撃を与える「膺懲」の方針を決定した。これが南京大虐殺の直接の原因である。いわゆる「膺懲」こそは暴力的な手段で中国人の抗戦意志を消滅させ、中国を服従させるものである。
南京占領前、松井石根は南京の近郊で、一つの訓令を下した。そのあらましは「南京は中国の首都であり、南京を占領することは国際上の事件である。
従って万全な研究が必要であり、日本の武威を発揚することによって中国を畏服させなければならない」[26]。日本軍の南京占領後の12月14日、日本の大使館員は南京安全区国際委員会に「陸軍は南京に手痛い打撃を与えると決定した」[27]という方針を漏らしている。
戦後、極東国際軍事法廷の判決文では「都市と農村の住民に対して虐殺をおこなった。…これはいわゆる‘膺懲‘の行為である。
こうした行為は中日戦争の中でずっと止むことはなかった、その中で最も悪い例証こそが、南京の住民に対する大虐殺であった」[28]と指摘している。
第三は、「捕虜」の虐殺は中支那方面派遣軍の既定の方針であったことである。大虐殺の規模からいって、
数万の捕虜、あるいは数万の一般市民の一回あるいは数回にわたる虐殺は、周到詳細な計画が必要であることは疑いの余地がなく、また多くの日本軍を使って組織的に処理しなければならない。
日本軍の第16師団長の中島今朝吾の日記には「大体捕虜はせぬ方針なれば、片端よりこれを片付くることなしたれども…」[29]と記している。
こうした捕虜虐殺の命令と多くの捕虜と一般市民の虐殺は、第16師団だけに起こったことではなく、第13師団や第6師団等の日本軍部隊でも同様のことが起こっている。
こうした一致点をみると、これもまさに松井石根のいう、いわゆる「万全な研究」の具体的な表現であることを見いだすことができる。
982:実習生さん
03/06/10 21:38 QLpQF4wy
新しい史料と外国人の日記や手紙が発見されるにともなって、南京国際安全区の研究は、さらに深めることができた。安全区が1937年11月末に成立し、3.86平方キロメートルを占め、
南京市内の約八分の一であり、その中に25カ所の難民収容所が設けられた。安全区の人口が最も多いときには25万人前後になった。
そのうちの7万人は、国際委員会の援助に完全に依存してはじめて生活することができた。1938年2月初めには、日本軍の脅しによって、安全区は解散を余儀なくされた。
南京安全区国際委員会と南京赤十字会国際委員会の20数名のヨーロッパ人たちは、真心のこもった人道主義精神に基づいて、日本軍の血塗られた軍刀の下で、幾千幾万の中国人の生命を救い、数多くの女性を日本軍の蹂躙から免れさせた。
彼らの日本軍による残虐行為への制止と抗議は、一定程度南京市民の痛みと損失を軽減した。
彼らはまた、日本軍の残虐行為を詳細に記録し、様々なルートを通じて国際社会に日本軍による南京での殺人、放火、強姦、掠奪の暴虐な行為を暴露し、南京大虐殺の真相を宣伝し、日本のファシズムの暴虐に対する世界の世論の厳しい批判をまきおこした。
彼らの記録は戦後、日本の戦犯裁判に有力な証拠として提供され、同時にまた、南京大虐殺研究の客観的で公正な資料にもなった。
983:実習生さん
03/06/10 21:40 dHqi3WCO
1000まであと19あるぞ。
ひとりでがんばれ。
984:実習生さん
03/06/10 21:40 QLpQF4wy
戦後、極東国際軍事法廷と南京軍事法廷は、ともに南京大虐殺を引き起こした戦犯たちに対して裁判を行った。
二つの法廷は、大量の証拠を基礎に、それぞれ松井石根、谷寿夫等の戦犯に対して絞首刑と死刑を言い渡した。
二つの法廷は当時の歴史的条件にかんがみ、ともに不徹底ではあったものの、しかし、その道義性、合法性と権威性については、疑いをさしはさむ余地はない。
南京大虐殺に対する裁判の結果は、二つの法廷は基本的に一致している。
(1)大虐殺の犠牲者の人数について、南京軍事法廷は、日本軍によって集団虐殺され、
跡形もなく死体を焼き払われたものは19万人余りであり、バラバラに個別分散的に虐殺され、死体は慈善団体によって埋葬されたものは15万余りであり、被害総数はあわせて30数万人である。
東京法廷の判決では、「被害者総数は20万人以上であり……この数字はまだ、日本軍によって焼き払われた死体や、揚子江に投げ込まれ、あるいはそのほかの方法で処理された人たちの数は計算に含まれていない」[30]。
日本軍の戦犯、元日本軍南京碇泊場司令部少佐の太田寿男の供述によると、日本軍が1937年12月中旬に焼却して埋めたり、揚子江に投げ込んだ死体は15万体余りに達した[31]。
このため、われわれは極東国際軍事法廷は実際上、南京大虐殺の被害者人数は30万人以上と判定しているものと認識している
985:実習生さん
03/06/10 21:41 QLpQF4wy
(2)焼き払われて破壊された家屋は、南京法廷では「市内の半分が灰燼に帰し」と認定し、東京法廷の判決では「全市の約三分の一がすべて破壊された」とされた。
(3)日本軍による女性への強姦について、南京法廷では確実な統計は示されてはいない。
ただ「日本軍によって南京が陥落した後、さらに至るところで強姦がおこなわれ、獣欲をほしいままにした」と漠然と判定している。
東京法廷での判決では、「占領後の一ヶ月の間に、二万件前後の強姦事件が南京市内で発生した」としている。
戦後、日本政府は、二つの法廷の判決を承認し受け入れている国際講和条約に署名した。『サンフランシスコ講和条約』の第11条には次のように明確に規定されている。
「日本軍は極東国際軍事法廷と、日本国内あるいは国外の同盟国の戦争犯罪法廷の判決を受諾する」。1952年、日本政府はこの講和条約に署名し、国際法廷と同盟国の戦争犯罪法廷裁判の正当性と合法性を承認すると表明した。
986:実習生さん
03/06/10 21:42 QLpQF4wy
南京大虐殺の「虚構論」者が南京大虐殺事件を否定する一つの重要な論点として、南京陥落前の人口はただ20~25万人にすぎず、従って日本軍による30万人虐殺は根本的に根も葉もないデタラメな話であると推断している点である。
これは、彼らが安全区の人口を、南京全域の人口ととりちがえて思いこんでいるのである。事実上、当時の3.86平方キロメートルにすぎない面積の安全区は、ただ南京市内の面積の8分の1にすぎなかった。
ニュースに疎かったり、家を離れがたかったり、安全区内で住む所を探し出す力がないなどの数々の原因で、まだ多くの人たちが安全区以外の市内や郊外の農村に一家をあげて住んでいた。
南京陥落直前の人口は、常住人口、南京守備部隊、流動人口の三つの部分に分けられ、合わせて60万人前後であった。
1927年に国民政府が南京を首都に定めて以降、南京市政府は、市内の常住人口について、ほぼ完全な統計資料をずっと保存している。1935年ではじめて百万人の大台を突破し、1937年の前半に至るまで、南京市の常住人口はずっと百万人以上を保ち続けてきた。
987:実習生さん
03/06/10 21:42 dHqi3WCO
あと15。
もっとがんばれ。
988:実習生さん
03/06/10 21:43 QLpQF4wy
「八・一三」事変(第二次上海事変)以後、日本軍は絶えず飛行機を飛ばして南京を爆撃し、約20万人の比較的裕福な南京の商人や市民が戦火を逃れて南京市の外に避難して逃げた。
10月に国民政府が重慶に遷都を決定するや、次々と政府機関員たちは疎開した。11月20日、国民政府は遷都の声明を発表した。
見積もりによると、この政府の西への移転につき従った軍民は約20万人である。また、この他に南京で仕事をしていた出稼ぎの人たちがおり、戦乱を避けるために出身地に帰った人たちが約数万人いた。
南京市の人口は激減したが、しかし多くの人たちは生活に追われ南京を離れることができなかった。
この点について、日本の上海駐在の岡本領事が1937年10月27日に広田外相に宛てた秘密の手紙の中で次のように書いている。「南京市内の公務員と軍人の家族はすでにみな避難し、人口は激減している。
警察庁の調査によると、現在の人口は53万人余りであり、それらはすべて、各機関の公務員、財産を移転することができないものや現地の商売人等、とことんまで南京に居続けなければならない人たちである」[22]。
南京市政府が1937年11月23日、国民政府の業務部に宛てた公文書で「本市の現在の人口を調べたところ約50余万人」であるとしている。12月13日の南京の陥落に至るまでずっと、南京在住の戸籍上の人口は依然として50余万人であった[23]。
989:実習生さん
03/06/10 21:44 dHqi3WCO
あと12、いや11かな。
990:実習生さん
03/06/10 21:45 QLpQF4wy
関係資料の記載に基づくと、南京防衛軍の部隊は15万人余りで編成されるべきであったが、兵員を戦闘のために損失しており約12万人であった。半月の南京防衛戦争で約1万人が負傷したり死亡している。
1937年12月11日、蒋介石が南京守備軍に撤退命令を出したが、
日本軍の包囲網を突破するのが非常にあわただしく、揚子江岸の渡し船も少なく、少数の部隊が突破した以外、大部分の部隊が南京城の中に封じ込められた。この守備軍の人数が約8万人であった。
これ以外に、また相当の数の南京ー上海鉄道と道路沿いに、南京まで逃げてきた他の土地の難民や負傷兵がいた。情勢が悪化して交通が制限され、南京に滞留させられた人たちは約9万人だった。
指摘しておかなければならないことは、安全区やその他の南京市内や郊外の農村に残った人たちを除いて、その他に10万人以上の難民と一部の中国兵が揚子江岸に残り、彼らのほとんどが南京陥落の初期に日本軍によって集団虐殺されたのだった。
991:実習生さん
03/06/10 21:47 dHqi3WCO
あと8
992:実習生さん
03/06/10 21:51 7YfimCeH
>>972
東中野修道って、もともと近代思想史やってたけど、あんまり研究がDQNなので、ダメ学者として細々やってたのが、たまたま南近大虐殺ででっち上げ論文書いたらウヨ系メディアから金と仕事もらって、それに賭けてる香具師だろ(w
香具師の論文を読んだよ。たまたま南京占領下で国民政府軍の将校を捕まえたという当時の新聞記事を、そのまま史料として中国のエージャントが日本を陥れるために自作自演だったとか書いてたね(w
久しぶりに 笑っちゃったよ。道理で彼の論文を学術研究誌で読めないわけだ。想像力のたくましさだけは素晴らしいけど、学者としてはDQNだね。
993:実習生さん
03/06/10 21:55 7YfimCeH
鈴木明も笑っちゃったよ(w
香具師は、南京大虐殺はエドガー=スノーの陰謀だとか言ってるけど、肝心の証拠はというと、「中国が情報公開しないと分からない。公開しない中国が悪いのだ…」と。
お前、それじゃ、ちっとも研究になってないぞ!!パールハーバーがルーズベルトの陰謀だっちゅう香具師の方が、きちんと史料出してたぞ!!
大虐殺否定の学者ってDQN揃い。最悪なのは、松井石根の日記改竄した田中正明。東中野の論文のほとんどが、これの引用だった(w
994:実習生さん
03/06/10 22:35 dHqi3WCO
あと何年かたったら100万人。
995:実習生さん
03/06/10 22:38 VHpt/6Pu
5
996:実習生さん
03/06/10 22:39 7+MI6ZY7
4
997:実習生さん
03/06/10 22:42 /Q7zMnlX
2
998:実習生さん
03/06/10 22:43 Cc93HK98
3
999:実習生さん
03/06/10 22:44 M9uCWFoh
1
1000:実習生さん
03/06/10 22:47 6DLJscft
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