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【私は河原乞食・考】著者:小沢昭一(おざわ しょういち) 2005年(1969年)岩波書店 ¥1000-
役者が河原乞食からはなれて、人間国宝になったり、文化人としてもてはやされたりしている。
そうした風潮に抗して、筆者の立ち位置は、あくまで見世物として晒される河原乞食である。
しかし、本書は40歳のときに書かれたもので、その後、筆者も河原乞食から文化人のほうへと、
立ち位置をかえてきたのは周知であろう。
筆者の変節を責めるつもりは毛頭ない。
そうではなくて、時代の変化が河原乞食を、そのままの位置に置かせなくなったことを考えたいのだ。
むかしは役者といえば、見世物人であり、庶民以下の蔑まれた賤民だった。
弁護士も三百代言と呼ばれていたし、そうした空気は、戦後になっても残っていた。
むかしの見世物は、見る者が見せてる者を哀れんだというが、現代ではお客が哀れみの目で見られ
ているという筆者である。
近代社会は多くのモノを変えたが、表現する人間を文化人に変えたのである。
シェークピアだって、写楽だって、偉い文化人などではなく、見世物書きだったのだ。
もともと、芸能が、芸能の「出身地」をはなれて、支配者の側についた時には、その芸能はみじめであった。
これまた日本の芸能史が証明ずみだ。宮中に入った雅楽。武家式楽となった能。
「演劇改良」とやらで洗われて、明治大帝の天覧に供した歌舞伎。
大政翼賛会推薦の愛国浪曲。体制がわにくみいれられた時、その芸能は輝きを失って滅びる方向へまっしぐら。
そしてその反対のがわにいる限り、芸能は、涙と怒りをはらにこめ、猥雑、放埒などハレンチな毒をもドツプリと
包んで、みずみずしく、溌剌として民衆を楽しませるのである。
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