総合格闘技なんて八百長じゃんと言ったら友人激怒at WRES
総合格闘技なんて八百長じゃんと言ったら友人激怒 - 暇つぶし2ch686:お前名無しだろ
09/09/10 19:52:15 0+AIvX5R0
【私は河原乞食・考】著者:小沢昭一(おざわ しょういち)  2005年(1969年)岩波書店 ¥1000-


 役者が河原乞食からはなれて、人間国宝になったり、文化人としてもてはやされたりしている。

 そうした風潮に抗して、筆者の立ち位置は、あくまで見世物として晒される河原乞食である。

 しかし、本書は40歳のときに書かれたもので、その後、筆者も河原乞食から文化人のほうへと、
立ち位置をかえてきたのは周知であろう。

 筆者の変節を責めるつもりは毛頭ない。
そうではなくて、時代の変化が河原乞食を、そのままの位置に置かせなくなったことを考えたいのだ。

 むかしは役者といえば、見世物人であり、庶民以下の蔑まれた賤民だった。
弁護士も三百代言と呼ばれていたし、そうした空気は、戦後になっても残っていた。


 むかしの見世物は、見る者が見せてる者を哀れんだというが、現代ではお客が哀れみの目で見られ
ているという筆者である。

 近代社会は多くのモノを変えたが、表現する人間を文化人に変えたのである。
シェークピアだって、写楽だって、偉い文化人などではなく、見世物書きだったのだ。
 
 もともと、芸能が、芸能の「出身地」をはなれて、支配者の側についた時には、その芸能はみじめであった。
これまた日本の芸能史が証明ずみだ。宮中に入った雅楽。武家式楽となった能。
「演劇改良」とやらで洗われて、明治大帝の天覧に供した歌舞伎。
大政翼賛会推薦の愛国浪曲。体制がわにくみいれられた時、その芸能は輝きを失って滅びる方向へまっしぐら。

 そしてその反対のがわにいる限り、芸能は、涙と怒りをはらにこめ、猥雑、放埒などハレンチな毒をもドツプリと
包んで、みずみずしく、溌剌として民衆を楽しませるのである。
URLリンク(www.netpro.ne.jp)


次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch