09/06/22 02:23:23 3U2QWZPx
俺の祖父も抑留者だが昔話でよく過酷な重労働の話を聞かされたよ。
仲間が一人また一人と餓死または凍死していく、気が狂いそうなのを生き残った仲間と励ましあったそうだ。
その体験があるせいか、食へのこだわりが人一倍強かった。帰国後、自給自足的な百姓をしながら生計を立てた。
祖父が死んだ次の年、祖父宛に一通の年賀状が届いた。内容からして旧友らしい、すぐに祖父が亡くなったことを知らせた。
その時、初めて戦友である事を聞かされた。祖父は生前、関西地方へよく旅行していたんだが、どうやら戦友に会うのが目的だったらしい。
家族は誰一人知らなかった。線香を上げたいと関西から九州の片田舎までその日のうちに会いに来てくれた。
生きるか死ぬかを共に過ごした戦友ってのは当人同士の間では俺らには計り知れないほど大きなものだったに違いない。