08/12/07 16:38:44 nDbbl3RF
あの戦争は紛れもなく侵略戦争であった。
明治体制の行き詰まりを大陸への侵略戦争で打開しようとしたとき、
明治憲政国家は滅亡への道を歩き出し、最終的に東アジアで数千万、
日本人は200万人以上の犠牲を出して、大陸ひとつ、大洋ひとつ、
丸焼けにして、その暴虐なる侵略の嵐を止めた。
明治体制とは、明治維新生き残りの元老たちの
人と人とのつながりだけでやっていこうとする
いわば「なかよし学級」的なもので、
その体制は、山県有朋が死んだとき、
すでに機能しなくなっていた。
「元老」に代わるシステムを、総理大臣経験者を中心とした「重臣」に求め、
ときの天皇は、かつての明治維新生き残りの元老たちに代わる存在を
日露戦争生き残りの重臣たちに求めた。
だが、世界恐慌が起こったとき、これら重臣はなすすべを知らず、
ときの浜口内閣は、これ以上はないという最悪のタイミングで
経済失政を行ない、日本経済はクラッシュした。
国内経済が死んだとき、世界は、ワシントン体制下、
すでに世界分割を終え、日本が食い込む余地はなかった。
大陸への「進出」は、このワシントン体制への反逆とうけとられ、
以後、敗戦へ至る15年間、日本は海外列強と戦い続けるはめになる。
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