09/03/08 11:12:25 2TEmYJ9U
文学だけじゃなくて、歴史とか哲学とかもエサにするから困る。
総じて言えることは、外部の権威チックなものと同一化することで、
自分の存在価値を高めようという傾向がある(要するに自分大好き)ということ。
「この文学はBLだ」と言うことで、その文学者と同じ高いセンスが自分にもあることになる。
「この武将は衆道を嗜んでいた」と言うことで、その歴史上の人物と同じくらい自分も「男らしい」ことになる。
「この哲学者はホモだった」と言うことで、その哲学書を読んだこともなくても自分の知性を誇れるようになる。
しかも、単に虎の皮を借りる狐状態になってるだけなのに、
「女性でありながらこんなことを理解できる自分って凄い!」とばかりに、さも難問を乗り越えたかのような顔をして、
「ボランティアでおまいらの世界に理解を示してあげれる自分におまいらは感謝すべき。受け入れようぜ」と迫る。
だから、相手がゲイだろうが既男だろうがカップルだろうが毒男だろうが、
「女性がお前らの目線で味方してやってんだから萌える話を提供しろ、なりきり遊びにも我慢しろ」という態度を取れる。
それでいて、何か面白いネタがあると「オレ達の功績」として感情とか一体感を共有しようとする。
特に少年漫画において、腐女子は「この作品(キャラ)は腐女子向け」と言われることを最も嫌うことからわかるように、
「アテクシは媚びたエサに釣られるような安いオンナじゃない!」「新鮮なネタを使えるんだぜ!」という自意識で人格が成り立っている。
そういう自己愛中毒ゆえに、他人の大事な領域を土足で踏み荒らす(当人としては「女神降臨」気分)ことへの罪悪感が無い。