09/01/11 11:20:17 J1+77qBA
>>17
現在の改良版はこれです。
> たけし在日説のそもそもの始まりは、今は無き月刊誌宝島30でのインタビューで
> 北野武は在日、北出身じゃないかって噂をよく聞くけど?との問いに
> ウン、お袋の方の家系がね…と答えたから。
> 母サキさんがハーフで自分はクォーターであると。
> ただその発言の後、母サキさん自らが冗談じゃない!あたしは純粋な日本人!
> と他誌で否定。あの馬鹿は勘違いしてるんです!とカンカン。
> たけし自身も後にあれは勘違いでした。お袋に怒られた。と述べています。
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~日本人・北野武(ビートたけし)の家系~
【武の父方祖父】
菊次郎の父。腕のいい漆職人だったが早世した。
【武の父方祖母(北野うし)】
実際には菊次郎の叔母なので、祖母ではなく大叔母。
うしは徳島県の裕福な商家の娘。徳島は浄瑠璃等が盛んなところ。
うしは幼い頃(明治初期)、祖父が嗜んでいた三味線を傍で聞いているうちに全部おぼえてしまった。
周囲がその才能に驚いて、うしに本格的な音楽教育を受けさせた。
父の代で店が没落してからは、その芸が身を助けることになり、
娘義太夫になる(明治時代のアイドル歌手のようなもの)。
芸名を竹本八重子といった。
天皇陛下の御前で演奏する候補に選ばれた事もある
(候補にはなったが最終的には選ばれなかった)。
引退後、田中家の令嬢の三味線の師匠をしていた際、その家で働く女中の「さき」を気に入り、
自分の息子(海軍中尉との間に出来た私生児)と結婚させようとしたが、
結婚間近にしてその息子が盲腸で亡くなった為、さきを養女とし、甥の菊次郎と結婚させた。
【武の父(北野菊次郎)】
北野うしの甥。漆職人の実父が早世し、母親の再婚で連れ子になったが、
継父との折り合いが悪く早くに奉公に出され、そのまま義絶した。
後に再会した叔母北野うしの勧めで、叔母の養女のさきと結婚した。
【武の母方祖父(岩吉)】
旧姓不明。捨て子であり、素性は不確か。捨て子を引き受けた里親は羽振りのいい米問屋で、
彰義隊の戦いのあったすぐ後、上野の山を通った時、
武家風の女性に子供と乳代百両を預けられたが、
その子供がさきの実父である岩吉。(百両は当時、銀座に地所が20坪は買える金額)
成長して名家小宮家に入り婿したが、小宮家を破産させてしまった。
【武の母方祖母(小宮志ん子)】
千葉県市原市(当時は市原郡五井町)の名家小宮家(屋号信四郎)のお嬢様だったが、
さきを生んで直ぐに早世した。
【武の母(北野さき)】
旧姓小宮。実家が破産した為、13歳で東京の名家田中家の住み込み女中となるが、
田中家令嬢の三味線師匠だった北野うしに見込まれ、北野うしの息子と婚約。
しかし結婚前に婚約者が病死した為、婚約者のイトコに当たる菊次郎と結婚した。
というわけで北野武は父方も母方も全部完璧な日本人。
たけしが自分に在日の血が入っていると思い込んだのは、祖母が実は大叔母だったり、
母親のさきが早世した婚約者を「菊次郎と違い出来の良い前夫」として度々話題にし、
「長男長女とお前ら(大と武)とは父親が違う(嘘)」と言っては説教をしたのと、
近所に在日部落があったせいである。