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● 花園ラグビー場の歴史(その2)
■1928(S03).02.20 翌日3年2月21日に甲子園球場で開催された第1回東西対抗
ラグビー試合に臨席される前日に、大軌電車に乗り橿原神社に参拝された殿下から
「沿線には随分空き地が多いじゃないか。この辺に今台頭しつつあるラグビーの専用
競技場を作ったらどうか、乗客も増えて会社も利益を得るのではないか」
と関西協会(当時は西部協会)会長の杉本氏、大軌の金森社長、種田専務に言われた。
■1928(S03).12.10 再度の秩父宮殿下が大軌に乗車された際に「まだラグビー場は
出来ないのか」との催促があり、この日に大軌の緊急重役会が開かれラグビー場の
建設を決定、プレスリリースした。
■1929(S04)..02.?? ラグビー場建設決定後、陣容を集め検討・設計し、2月から着工。
建設は清水建設。
■1929(S04).10.?? ラグビー場が突貫工事で10月に完成(11月に完成という説もある)。
(11.22?) ラグビー場が突貫工事で11月に完成。 ・併せて現・東花園駅開業(11.22)
東花園駅は、当初の「ラグビー運動場前駅」→「ラグビー場前駅」→「東花園駅」と
なっている。1967年に「東花園」に改称するまでは、臨時駅。
(ラグビー開催時のみ営業?)
■1929(S04).11.22秩父宮殿下ご夫妻を迎えて開場式、全日本OB対学生選抜の試合が
行なわれる。なお、この日に大軌ラグビーチームが正式な部として承認される。
「1948年9月1日撮影の花園ラグビー上付近の空中写真」です。
画像中央、Y字型をした市街地の右上あたりに花園ラグビー場を確認できます。
ページ右側の画像解像度を200dpiで見ると拡大して画像を見ることが出来ます。
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