09/03/11 23:12:39 0uUFXAKt
そして全国制覇に最後の契機となる試合が昭和63年の工大戦。相手の2年生CTBにゲインをたびたび
破られ惜敗を喫した。ベスト4で終わった代償としてタテ突破できるCTBの重要性を学ぶ。
ここで、チーム自体はベスト4以上が当たり前の強豪中の強豪に成長。育ての親的な日川を凌ぎ
久我山と関東の覇権を争うチームとなった。その円熟期が花園連覇を達成した平成5~6年。
超強力なFWでありながら、BKまで全員が走れる。さらにタテ突破できるCTB。優勝できる条件は
完全に揃っていた。
また、この時、相模台工業は5年は久我山に、6年は茗渓に敗れて関東は制することができずに
関東のレベルの高さを示した。特に6年は茗渓が優勝候補筆頭と目されるなど久我山も含めて
優勝候補3校が関東に集中していた。
その中で北陽台がラッキーだったのは、優勝候補筆頭の茗渓が舞鶴に完敗して、その試合で舞鶴も
けが人続出して準々決勝で舞鶴に勝つことができたこと。
もし、茗渓が順当勝ちしていれば茗渓が普通に勝っていたと思う。
翌年は夏合宿も好調で工大以外に勝ち続け3連覇も十分視野に入るチームだったが、ここで相性が
ものを言った。絶対優位と見られていたが、格下の秋田工業の渾身のタックルに攻撃が寸断され完敗。
ディフェンス一辺倒の試合を強いられたが、点差は詰めて面目だけは保つことができた。
負け方は格好がついたが、秋田工業に3連覇を阻まれたこの年が相模台工業の終わりの始まりだった。
そのわずか数年後に練習試合で日川に100点ゲームをされた。日川もさらにその後数年でノーシードで
初戦敗退が当たり前のようになっていった。結びつきの強い両校は時期を同じにして落ちぶれていった。
さらに埼玉、東京のレベル低下も目を覆うばかり。
埼玉県勢は2回戦レベル、東京は久我山が3回戦レベルでほかは2回戦レベル。茨城も3回戦レベル、
平成に入ってからも決勝進出経験のある農大二高擁する群馬は初戦突破レベルに成り下がった。
関東のレベル低下の著しさに比べると九州のレベルアップはすごい。
平成初期には佐賀工がトップに立っていたが、最近は東福岡、大分舞鶴が上位を固め、長崎勢か
佐賀工が割ってくる構図が多いが、いずれにしても3校はベスト8に残る。