09/01/07 20:39:18 7a1QmqTX
ざっと読み返したら、重要な説明が抜けていた。俺が君に対してある種要求した「体系性」というのは、「賢者」の
それではなく、個々の人間が、人間らしく思考するために、最低限、ないしは望ましくは、要求されるような、
視野の広さ、致命的な矛盾や欺瞞のなさ、そして自由さ…といったことを指している。つまりこれは、ある人間が
人間として、自分だけでなく他人をも巻き込む問題について語る場合に当然つきまとってくる種類の「責任」のことを
述べている。
例えば、国籍法改正を語る場合、君が正当にも勘案したように、婚外子の問題や外国人労働者の問題に視野が及んで
いる必要がある(必ずしも弱者の味方になる必要はないがともかく視野は及んでいる必要がある)。
そうなれば、当然のことながら弱者に対する人権の保護や経済的再分配についても、何がしかの
見解をもっている必要がある。こういう視野の広さをもたない人間は、そもそも公共的な問題について何かを言う
資格がない。なぜなら責任感覚に無頓着であり、言いっぱなしであり、それはいわば、未成年の思考だからだ。
視野の広さが必要という考え方は、は一見悪しき「論点セット」を思わせるものであるが、実際はまったく正反対だ。
「論点セット」という問題の本質は、ある論点に対する「答え」や「姿勢」が、一連のセットになっているところにある。
そして、「答え」や「姿勢」がセットになっていることから、今度は逆に「論点」の選択が起こるようになり、結果的に
特定の、限定された論点の組み合わせが出来上がる。そこに自由な思考も、責任ある思考もない。