09/01/07 15:49:47 7a1QmqTX
>>322
批判の内容は、どちらかといえば前者だな。君がつまらない人間だとは思わない。別にものすごく面白くもないが。
さて、「ロジック」という言葉がミスリーディングだったようだが、俺が体系的な意見を求めたのは、「君が~ならば
必ず体系的思考をもっている」という、排除的な論理構造によるのではない。むしろ、あの場で「ロジック」と述べた
のは、「こういう理由から俺には~という質問をする合理性がある」という意味だ。つまり、君が解釈したように、
「俺の質問に上手く答えられなければ、君は~だ」という必然的関係を述べているのではなく、ある種の妥当性を
主張している言説であるということだ。
君はそういうもの(体系的な政治的見解)をもっていなかった。そのことで、君という人間が一義的に決定される
ようなものではない。ただし、こういう質問は判断材料として有効だ。人間という複雑で複合的な存在について
論じる場合には、常に蓋然性を高めていくという形でしか真実には近づいていけない。とはいえ、このことは大した
問題ではなく、いわばテクニカルな問題であるのでここでは深入りせず、本題に切り込んでみる。
>どうもネット上の言論というものを特定の論点しか論じることの出来ないものとして見下しているようで
ネット上の言論は、現在のところ匿名が主体で、ゆえに誰もそれに責任をとることができない、という決定的弱点と
その弊害をもっている。このことは、ネット上で議論している主体は、「人間」とはいえず、その責任能力において
犬畜生と同等であるということを意味している。無論俺も含めてだ。
人間が動物ではなく「人間」として考え語るするということの本質は、その「責任能力」にある。人間だけが、「約束」を
守る能力をもっており、さっきと今で矛盾したことを(本気で)考えたり語ったりすれば、心のなかや頭のなかで、
いかんともしがたい不快さ生じる。人間が人間らしくいられるのは、自らの言葉や思考にある種の「責任」が常に
まとわりついているからだ。
これは、人間が個としてそうであるだけでなく、高度に社会的動物であるということからもそういえる。約束を守らなけ
れば、自分が気持ち悪いだけでなく、社会の中でその人の尊厳を失い、生きていけなくなる。人間は誰しもが、
そのような集団生活を余儀なくされ、あるいは、選び取って生きている。したがって、人間性と責任能力というのは、
二重の意味(個と社会)で、決定的に結びついていることになる。
これに対し、ネット上の言論というのは、いわば、異常に純粋度の高いブレインストーミングとして、理解することができる。
現実世界でのブレストは、実は字義通りのブレストではない。自由にアイディアを出し論じるといっても、実際にはその人
の立場や社会的属性などが色濃く反映され、したがって、厳密に言えば通常の議論と絶対的に区別することはできない。
つまりは彼は、いぜん「自由」などではなく、むしろ、好ましくも人間として「責任」を取らなければならないのだ。
ところが、まさにこの事実からわかるのだが、ネット上では異常なまでに字義通りのブレインストーミングが高い水準で
実現する。それは、先に述べたように、ほとんど一切の(もちろん逮捕されるような一部の書き込みを除き)責任を
取らずにすむからだ。そこでは、文字通り「脳」がその行為の主体であって、「人間」が主体ではなく、もっとありていに
言えば、思考をある種の行為とみなした場合に、ある意味で犬畜生と同じレベルで行為していることになる。