07/03/19 13:32:18 OoQyCmQD
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市民団体「活貧(ファルビン)団」(洪貞植〈ホン・ジョンシク〉団長)は「愛国社会団体らと連帯し、
釜山からわずか50キロしか離れていない失われた韓国領土・対馬の“奪還国民運動”を展開することを決めた」と発表した。
対馬と福岡県の距離は147キロある。
活貧団は4年前から韓国全土の島嶼(とうしょ)地域を持つ地方自治体を回り、
「独島(日本名:竹島)守護運動」を行ってきた。活貧団は18日午後、仁川広域市江華島摩尼山で
高麗大学校友会のコギョン山岳会のメンバーらと共にと山開きを行った後、
「失われた韓国領・対馬を取り返すキャンペーン」を展開することを明らかにした。
活貧団によると、世宗1年(1419年)に李従茂(イ・ジョンム)将軍が対馬征伐を行った6月19日までに
南海・巨済・珍島・莞島・新安・鬱陵邑など島を抱える地方自治体や道庁所在地・主要都市を回りながらこの運動を全国に広め、
8月15日の光復節(日本帝国主義からの解放記念日)には対馬に上陸し太極旗を掲揚した後、
対馬が韓国領であることを国内外に宣言する計画だという。
さらに活貧団は、各大学の学生会や青年会議所と連携、対馬に上陸し太極旗掲揚運動を行うことで
世界中のネチズンに対馬が韓国領であることをアピールする一方、
政府と国会が馬山市議会を模範として対馬の日を制定し、日本政府に対し対馬返還を堂々と要求するよう主張した。
活貧団は「対馬は三国時代から壬辰倭乱(文禄・慶長の役)前まで慶尚道桂林の領地だった。
辺境地域の駐在官である敬差官や体察使が派遣された韓国領土という歴史的根拠も十分にある。
日本の歴史的な資料にも“対馬は朝鮮の地”という記録が残っている。
遅まきながら今からでも“対馬奪還国民運動”に立ち上がるべきだ」と訴える。
さらに「13世紀の日本の歴史書『塵袋』には“新羅人たちが住んでいた”という記録が残されており、
また1723年に対馬の学者・藤定房が編纂した『対州編年略』にも“対馬は高麗国の牧(行政区域)だった”とある。
こうした記録から見ても対馬が韓国領であることは明白」と強調した。
また活貧団は、朝鮮王朝が土地の痩せている対馬の住民に食糧を供給しなければならない状況を放置していたが、
壬辰倭乱の際、対馬を韓国侵略の拠点として利用する価値があると気づいた日本が自国の領土にし、
その後長年にわたり奪われた領土となってしまった」と主張した。
そして活貧団は、「韓国建国直後に李承晩(イ・スンマン)初代大統領が対馬返還を主張すると、日本はこれに反発した。
李大統領は再び1952年1月18日に“隣接海洋の主権に対する大統領宣言”で対馬の領有権を主張した」とコメントしている。
NEWSIS/朝鮮日報JNS
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