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< 川内は小説や映画の脚本、そして歌謡曲など約350曲の作詞を手がけ、
「月光仮面」、「まんが日本昔ばなし(監修)」では、忘れてはならない ≪日本人の心≫ を伝えようとし、
子供達をターゲットにした「グリコ・森永事件」では1億2000万円を出すからと犯人に自首・無殺傷での事件終結を呼びかけた。
”川内康範の子分” を自任する立川談志は、
『助けに来てくれ』ってえと、『よしわかった』って飛んで来る狭気のある壮士だった。
ああいう人はもう出ないだろうな…。」 と話す。
海軍で患った胸の病に生涯悩まされ、妻のクリスティーナさんらにみとられて逝った。
「人に迷惑はかけたくない。戒名もいらない」 と周囲に言い残した通り、密葬は身内ら数人だけで行なわれた。
ただ、位牌には、「何もないのは寂しい」との妻の思いから生前、好んだ肩書が刻まれた。
【 生涯助ッ人 川内康範 】 最後まで貫いた生き様が、戒名になった。