09/01/23 03:40:32 E9vHiv80
あと高嶋氏は智弁学園時代と智弁和歌山時代での采配が違うのは条件が
かなり違った所にあると思う。
まとめてみると
智弁学園時代→部員の人数制限がなかった(確かな情報とは言えないが?)
ため、部員一人一人の練習量確保のため、深夜まで練習するしか
ないという考えがあった。(ボイコットも発生していた。)
智弁和歌山時代→どちらかというと学校としては進学をメインにおいていたので
スポーツコースはあくまでも一つのコースといった目で見られていて
周りの協力体制があまりなかった。さらにスポーツコースの定員制限
上(1学年10名程度)優秀な選手を確保するのは難しかった。80年代
の選抜初出場まではそこそこの選手を反復神経理論で守備力を重視に鍛え上げた。
従って野球スタイルが現在と真逆なのはこの時代の条件と現在の部の状態の違いが
原因の一つではないか。85年に初めて選抜に出場した時は梅本賢治投手といった
130キロのストレート、カーブ、スライダーを低めに集めて打たせて取る守備中心
のまとまったチームができたのではないか?どなたか85年選抜初出場チームに関して
詳しい情報を持った人はいらっしゃいますか?