09/09/25 13:13:45 0
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| 現在のテーマを列挙する。
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1、関係性を定義することは可能か?
2、世界の外側を思考することは可能か?
3、記号単体は単なる現象か?
290:滅ぶ人類 ◆XkzBh9Qmv2
09/09/25 18:01:19 0
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| 関係性は定義可能か?
| これは難問である。
| なぜなら、次のようなパラドクスが生じるからである。
| 仮に関係性が定義可能であると仮定しよう。
| その時、その定義は「関係性」以外の単語Xを含む。
| それゆえに、その定義は関係性と単語Xの関係である。
| それゆえに、関係性を定義するのに関係を用いなければならなくなる。
| これはある種の循環論法では無いのか?
| それとも全く無問題なのか?
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291:滅ぶ人類 ◆XkzBh9Qmv2
09/09/25 18:03:36 0
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| 世界の外側を思考することは可能か?
| これも難問である。次のような場合を考えよう。
| ある囚人が生まれつき独房に閉じ込められている。
| この独房は外部との接触手段を一切持たない。
| それゆえに、囚人にとって独房が世界である。
| さて、囚人は「この壁の向こう側にも人間がいる」と考えた。
| しかし、これは確認不可能である。
| しかし、我々はこの囚人の命題が擬似命題だと考えるだろうか?
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292:滅ぶ人類 ◆XkzBh9Qmv2
09/09/25 18:07:41 0
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| 記号単体は単なる現象か?
| これは名辞論理と命題論理の問題と繋がっているように思われる。
| しかし、この問題はもっと洗練されねばならないだろう。
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293:ナナシマさん
09/09/25 18:18:57 O
>>285-292
くだらん寝言はチラシの裏にでも書いてハァハァしてろ。
294:滅ぶ人類 ◆XkzBh9Qmv2
09/09/25 18:34:29 0
現在の関係性の哲学によれば、おそらく、私=世界という命題が、
広く受け入れられている。但し、この命題自体は、特に何らかの
(日常的に)有益な帰結をもたらすものではない。
しかし、この命題は、従来の認識論を覆すであろう。なぜなら、
この命題によれば、世界は 認 識 さ れ て い な い と考えること
も可能だからである(なぜなら、私の右側にAが見え、私の左側に
Bが見える、という命題は、BがAの左に在る、という命題と等値
だからである。前者には認識的動詞が用いられるが、後者には
自存的動詞が用いられる)。
§. 8.
自然法論の素朴認識論とカントの構成的認識論は実は等値である。
認識論を考慮するかどうかは、世界の〈在り方〉を変更しない。
また、唯物論と観念論も、世 界 の 在 り 方 に 関 す る 限 り 等値である。
実在論と非実在論も、世 界 の 在 り 方 に 関 す る 限 り 等値である。
295:ナナシマさん
09/09/25 18:52:39 0
>>293
構われるだけで喜ぶんだからもうレスすんなよ
296:滅ぶ人類 ◆XkzBh9Qmv2
09/09/25 20:27:58 0
§. 9.
等値である、とは次のようなイメージである。
ある2点の関係を記述する時、
「点Aは原点Oから見て(2,1)、点Bは(3,2)である」
という命題と、
「点Aは点Bから見て(-1,-1)である」
という命題を「等値命題である」と呼ぶ。
そして、原点Oは世界=座標空間における「私」である。
297:滅ぶ人類 ◆XkzBh9Qmv2
09/09/25 20:29:42 0
§. 10.
私の中に他者は存在しないし、他者の中に私は存在しない。
298:滅ぶ人類 ◆XkzBh9Qmv2
09/09/25 20:32:15 0
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| 私は世界の外側について考えることができるのか?
| 第一に、私は世界の外側を知らないであろう。
| しかし、世界の外側のモデルを組むことはできる。
| では、モデルと現実との関係は何か?
| 私はモデルと現実とを比較しているのか?
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299:滅ぶ人類 ◆XkzBh9Qmv2
09/09/26 10:54:37 0
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| ここで、我々はモデルを現実から組むことはできるのか?
| 実は、現代哲学にはひとつの大きな間違いを犯しているように思われる。
| それは、特に科学哲学の一派に見られるものである。
| 彼らは言う。「モデルとデータの比較のみが可能である」と。
| しかし、これは「モデルと現実」の問題を「データと現実」に置き換えただけだ。
| 問題は先送りされたのであって、問題に対する適切な。
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300:滅ぶ人類 ◆XkzBh9Qmv2
09/09/26 11:35:42 0
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| 問題の要所は二元論的手法にある。
| 「現実界と理論界を分離させた時、我々はあらゆる
| 比較手段を失ったのでは無いか?」
| これは価値と事実についても言えよう。
| 理論は現実と無関係に、価値は事実と無関係にされたのだ。
| 実は、二元論者の多くはこの点に気付いていないように思われる。
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301:滅ぶ人類 ◆XkzBh9Qmv2
09/09/26 11:38:00 0
私は言っておく。
関係性の哲学の歴史は古い。しかし、まだまだ完成していない。
完成するかどうかも分からない。
302:滅ぶ人類 ◆XkzBh9Qmv2
09/09/26 11:40:06 0
プラトンの哲学とアリストテレスの哲学が震源である。
なぜなら、彼らこそが二元論とその克服の歴史の源流だからだ。
イデアは現実世界にではなくイデア界に在るのか、
それともエイドスはヒュレーに内在するのか?
303:滅ぶ人類 ◆XkzBh9Qmv2
09/09/26 11:42:44 0
私はカントの認識論や二元論に感動するが賛同できない。
カントは、「徹底した二元論は、規範の事実に対する影響力を剥奪する」
ということを考慮しなかったように思われる。
これは、新カント派のケルゼンにも該当する。
他方で、ラートブルフとラスクの三元論哲学は一見常識的だが曖昧である。
しかし、私は次のように言っておこう。
徹底した二元論は、事実と価値の無関係性を前提とする。
(もっとも、多くの二元論者は価値→事実の無関係性をも仮定してしまった
ことを失念しているように思われるが)。
しかし、もうひとつの道はある。
それは、事実と価値との関係を記述することである。
事実ー価値という区別は、ひとつの区分けの方法に過ぎない。
304:滅ぶ人類 ◆XkzBh9Qmv2
09/09/26 14:39:51 0
実は二元論である絶対性は無い。
なぜなら、三元論にも四元論にもなるからである。
世界をどう分類するかは、世界の在り方を規定しないように思われる。
また、事実と価値が全く無関係であるということを私は信じない。
なぜなら、関係性はいかなる事柄の間にも生じると考えるからである。
305:滅ぶ人類 ◆XkzBh9Qmv2
09/09/26 14:42:02 0
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| 関係性の記述は最初の定義が肝心である。
| おそらく、定義によって諸関係は即時に規定される。
| その限りで、変更する余地は存在し無いのだ。
| 変更は諸関係ではなく定義の変更によって行われる。
| 定められた事柄の諸関係自体を変更することはできないだろう。
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306:滅ぶ人類 ◆XkzBh9Qmv2
09/09/26 14:44:41 0
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| それゆえに、関係性の哲学は定義と演繹を重視する。
| 関係性の哲学が生み出す諸命題は恒真式である
| 但し、この「真」というのは実は正確ではない。
| これは、「真」でも「1」でも「犬」でもよいのである。
| したがって、恒値式というのが正確であろう。
| 論理学における真偽の援用は見せかけである。
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307:新・巨人党 ◆dGGv/xxJBU
09/10/04 01:48:11 0
思想家の素晴らしい講義が行われている。
私はここを人生の決戦場に指定する。
308:ナナシマさん
09/12/01 19:01:08 O
アンチ阪神のマジキチ率の方こそ異常
309:ナナシマさん
09/12/21 11:12:37 0
>>307
立川在住の人肉食の思想家か