10/07/11 20:20:35 uacF5jqt
そもそもなんでFS33とか45とか762mmだったんだ?
そのメリットは?単なる軽量化?
せっかくだから333・345用でリムの太いのを作っておいたらM車で限度まで使い切ったあと
T車用に転削して転用するなんて考えてたんじゃないの?
なんて実際できそうでできなさそうなことを今さら妄想してみるw
537:回想774列車
10/07/14 20:52:19 eqeYSoAL
旧国電の図面を見たら、湘南電車(80系)ぐらいまで、MC,Mが910π、
TC,T、TSが860mmπで、こだま型(150系)から860πに統一されているが、
カルダンドライヴ採用時に860πにしたのは、阪急1000と同じ?理由で,モーター
の回転数でも関係あるのか?理工系の方宜しく。
538:回想774列車
10/07/16 12:00:29 azPd4WWu
805が非貫通になったのって
よく湘南形への迎合ってあるけど、
2枚窓湘南形にあわせるのならともかく初期型の3枚窓に似せてどうする?という気もするんだが。
しかも中央だけ運転台もないのに上に窓を拡張したりしてよくわからんな意図が。
539:回想774列車
10/07/16 13:23:59 C9BzqCC4
805の0ゲージキットを買って、前面真中窓の高い部分を真鍮のウインドヘッダー
で埋めて、側窓下部を削り何とか2段上昇窓にして、山陽850型をでっち上げて、
TMS須磨寺運転会で走らせたら、山陽の運転課長に「このバケモノは何だ」?
、阪急のM氏から「うちの電車切りクチャにしたな」と言われて冷や汗だった。
実物は最後にばらばらになって,TC神戸側とMC大阪側になり、間に920型
を挟んで珍編成で走っていたが、どうして当時あんな中途半端な車体を造った
のか?未だに不可解だが。
540:回想774列車
10/07/16 14:24:18 azPd4WWu
805であとひとつわからないのが、車体長の問題で、
これ17300と17000の2説ある。(無印800は17000)
前者は片野正巳著の私鉄電車プロファイルとか吊掛賛歌の記載。
後者は私鉄電車のアルバムとか阪急発行の車両形式図集。
何が問題かというと805は無印800に比べて運転台を拡張しているが、それを
1.車体延長で吸収しているのが17300
2.車体はそのままで窓間の柱を細くすることで(詰まり客室を狭くして)稼いでいるのが17000説。
実際、車両形式図集を見ると805は無印800に比べて窓幅は広くしているが
窓間の柱や、扉と窓の間の柱部分を少しずつ狭くしている。
ここまで細かい数字が出ているのを見ると17000説が正解かと思うんだが。
17300というのがどこから出てきた数字なんだろうか。
541:回想774列車
10/07/16 21:18:56 C9BzqCC4
乱暴な想像だが、片方の連結器迄を間違って計算に入れてしまった???
542:回想774列車
10/07/16 23:06:25 azPd4WWu
もう一度見てみたが、どうも片野本は台車中心間距離の時点で300mm長く書いてある
(11400→11700)
なんか勘違いしてたのかそれとも根拠となる資料が別にあるのか。
543:回想774列車
10/07/17 14:30:33 7TGNIWgR
おそらく片野本の間違いだとおもいますよ。なにかの思い込みだと思います。
ここからは私の想像、というか妄想に近いのですが、チラシの裏として読んでくださいw
805-806-855-806の設計の主眼は、湘南形への迎合ではなくむしろ運転室居住改善が主眼だったのではないかと思っています。
550もそうですが810系トップナンバーの編成など、この時期の阪急の車両は一時的に運転室が拡張された設計の車両が
登場しています。もともと阪急の神宝線車両は運転室が狭く、900形などはこれが原因で昇圧時に運転台機器を撤去されていますし
920系もHSC化?のときに運転台拡張を行ったりしています。
にもかかわらず戦後のこの時期の車両のみ、一時的に運転室が広くなり、しばらくしてまた狭い設計の車両が登場しています。
805-806-855-806はその運転台拡張及び居住性改善の試みのひとつとして、非貫通にして中央に運転台を設置する案が
あったのではないかと想像します。しかし色々な事情からそれは消えて通常の左側運転台になったが、
窓の大きさにのみその痕跡をとどめている、と。
なぜこの時期に運転台拡張の動きがあったのか?これも妄想ですが、その数年前に吹き荒れた労働争議の影響ではないかと。
この過程で運転室の居住性改善が要求事項のひとつとなり、それが設計に反映された。
しかし、労働争議が下火になると再びもとの寸法に戻ってしまい、550/805クラスの広さの運転台になるのは
実に2000系まで待たねばなりません。
要するに、550/805は労働争議の影響が設計に反映した徒花であった。という妄想話でした。
544:回想774列車
10/07/18 11:27:20 FtWUNV1/
550の運転台は後の2000系シリーズより広かったようなイメージがあるんですが、
図面で確認したわけでもないのでなんなんですけど。
545:回想774列車
10/07/18 13:20:49 8i+aiapn
550は運転室奥行きが1100mm
2000系は1055mmですからまだ550の方が広いですね。
まあそれでも1000系列の904mm~920mmよりは大分広くなるんですが。
3300/5000系で1150mmになってやっと550を上回ります。
もっとも、550の運転室は広いものの、運転台側が個室になっていて、
100kg以上あった乗務員が狭くて乗れなかったwという話が
レイルロードの「阪急550」に記載されています。
546:回想774列車
10/07/19 13:08:55 HYU/VY+y
>>538,543
805型の正面中央窓だけ大きいのは本来貫通路となるべきスペースを
そのまま窓にしているので、車体の柱の構造をそのまま使った大きさに
なっているだけでしょう。
ちょうど南海22000系→和歌山電鐵2270系と同じ構造。
正面窓だけ上方に伸びているのも同じ感じ。
805型はテスト的な意味があったので、場合によっては将来貫通化出来る
構造にしておく必要もあったと思われる。
のちの610系初期車、210系などの先頭車は正面窓高さは左右とそろえて
あるが、これは805型のものが今ひとつなデザインだったためではないかな。
547:回想774列車
10/07/22 20:10:14 qZf16k1K
>>546
多分そんな所だろうね805に付いては色々な理由があるらしいが----
でも855+920の鉢合わせ編成+805を見たときに「典型的なケチの阪急」だと
思ったが、ケチはケチなりに頭を使っているなと---まるで「模型的編成」だったが
548:回想774列車
10/07/26 16:52:11 mZ5TuyIp
いま8000系の間に7000系はさんでるのと同じか>805+920+855
でも走っているときは更新されていない805の方が920よりも古くさく感じて、あまり
ケチという気はしなかったな。
製造時一番出来が悪かった920第6次車や、中間車になった第4・5次車の方がむしろ
リベットも少なく窓枠も細くて一番綺麗に見えた。
549:回想774列車
10/07/26 19:33:47 uJwnQoEw
まあ、800形2次車は状態良く無かったですからね。
ただ、900形の全廃直後に正雀工場に行った時、806-856が、アンチクライマを外された姿で
留置されているのを見て、もう廃車かと意外に感じた記憶があります。
550:回想774列車
10/07/27 13:05:04 N8HqpYC2
外されたアンチクライマーって、保存900に流用された3枚刃の奴ですね。
アンチクライマーぐらい流用せずに4枚刃作ってもたいして金かからないだろうに、と当時は思ったなあ。
551:回想774列車
10/07/27 14:22:55 KmhjYvRo
>>543
920系の4-5次車つて溶接車体だった組だろう、俺もあれが大好きだつたし
何故中間車に改造してしまったのか?惜しかったと想う。
552:回想774列車
10/07/27 19:42:29 N8HqpYC2
RPの特集号でY氏が、一部中間車化を提案したらその時点で未更新だった4・5次車全部の
中間車化指示が出て後悔した、と書いてるな。
553:回想774列車
10/07/28 21:21:04 5veMpZYW
100系が最後まで走ってた千里線。
千里線はボロ電の巣窟だった。
北千里駅が全国初の自動改札になっても、梅田行は100系・700系がガーガーいいながら鈍足で走った。
554:回想774列車
10/07/29 05:38:52 y7/mUY8g
>553
その辺のアンバランスは1970年代の新規開業路線ではよくあったよね。
今から思えばそれも味だけど。
555:回想774列車
10/07/29 14:24:23 X5MTzTrd
むしろ萌える
556:回想774列車
10/07/30 10:45:58 wKsMDwxq
>>552
成る程ねY氏も後悔する事があるんだ