10/07/17 14:30:33 7TGNIWgR
おそらく片野本の間違いだとおもいますよ。なにかの思い込みだと思います。
ここからは私の想像、というか妄想に近いのですが、チラシの裏として読んでくださいw
805-806-855-806の設計の主眼は、湘南形への迎合ではなくむしろ運転室居住改善が主眼だったのではないかと思っています。
550もそうですが810系トップナンバーの編成など、この時期の阪急の車両は一時的に運転室が拡張された設計の車両が
登場しています。もともと阪急の神宝線車両は運転室が狭く、900形などはこれが原因で昇圧時に運転台機器を撤去されていますし
920系もHSC化?のときに運転台拡張を行ったりしています。
にもかかわらず戦後のこの時期の車両のみ、一時的に運転室が広くなり、しばらくしてまた狭い設計の車両が登場しています。
805-806-855-806はその運転台拡張及び居住性改善の試みのひとつとして、非貫通にして中央に運転台を設置する案が
あったのではないかと想像します。しかし色々な事情からそれは消えて通常の左側運転台になったが、
窓の大きさにのみその痕跡をとどめている、と。
なぜこの時期に運転台拡張の動きがあったのか?これも妄想ですが、その数年前に吹き荒れた労働争議の影響ではないかと。
この過程で運転室の居住性改善が要求事項のひとつとなり、それが設計に反映された。
しかし、労働争議が下火になると再びもとの寸法に戻ってしまい、550/805クラスの広さの運転台になるのは
実に2000系まで待たねばなりません。
要するに、550/805は労働争議の影響が設計に反映した徒花であった。という妄想話でした。