09/04/02 21:09:21 1lkaDXec
>>145
確かにホームの行先案内の字幕の話です。
当時としては改札の上にデカデカと並んだカラーの案内板は新鮮でした。
(隣の名鉄新名古屋駅はまだいわゆる行灯式だった)
今や弥富はおろか蟹江にも急行が停まる時代。
今の急行は当時の準急並みということか?
当時の準急の停車駅は蟹江、弥富、長島、桑名、益生、富洲原、富田、阿倉川だったはず。(のちに東芝工場への通勤客の利便を考慮して伊勢朝日が加わる)
特急の待避が主目的だったような富洲原、一応長島温泉へのバス連絡があった長島はまだしも、さして乗降客が多いとも思えない益生に停車していたのは不思議だ。