08/11/14 19:43:21 vq+LrDi3
当初は、福岡市が市電を経営しようとしたらしい。
しかし資本不足で、福澤諭吉の娘婿福澤桃介に協力を求めた。
福澤と共に事業をしていた大学の後輩である
松永安左ヱ門が先頭に立って、
建設を進めて出来たのが福博電気軌道。
福博電気軌道は、電力会社である博多電灯と合併し、
博多電灯鉄道となる。
松永はこの会社を足がかりに東京へ出て行き、
戦後の、電力再編成を果たし、電力の鬼と呼ばれた。
天神大牟田線の前身である九州鐡道は、
松永たちが作った会社。
一方、中央資本に対して、博多商人である渡辺与八郎たちが立ち上がり
建設したのが博多電気軌道。
渡辺は、箱崎に帝大を誘致するため動くなど、地元の発展のために
尽くしたが、志半ばで自らが誘致した九大医学部病院で
流行病のために死去。(この病気の病原体を発見したのが九州大学。
志を継いだ人が敵をうったんだ。)
いずれにしても、この二人が福博の街にいなかったら、
今の福岡市の発展は考えられない。