09/01/09 21:38:05 9oRr9Rsr
>>231
あくまで推測の域を出ませんが、、、
1929年(昭和 4年)8月16日 全線1500V電化
1942年(昭和17年)9月19日 博多湾鉄道汽船が西日本鉄道に合併。
1944年(昭和19年)5月 1日 西鉄糟屋線国有化。国鉄香椎線となる。
1950年(昭和25年)貨物列車無煙化。
1959年(昭和34年)貨物輸送休止。
1966年(昭和41年)10月26日 和白駅西方立体交差化。
こうやって見ると昭和41年まで宮地岳線は香椎線は和白で繋がっていたことになりますよね。
(しかも、ご存知の通り和白駅の立体交差は連絡線の設置が可能な構造です)
そして昭和25年まで貨物列車は蒸気機関車牽引ですし、もちろん香椎線の方も蒸気機関車牽引です。
一方の築港線は600V電化の電気機関車牽引で、宮地岳線への乗入れはできません。
何が言いたいかと言うと、国鉄線との連絡なら築港線より香椎線を使った方がはるかに効率が良さそうですよね。
そこで思い浮かぶのは、西鉄博多の連絡線の目的は試験場前の西鉄産業久留米工場への回送が目的では無かったかと言うことです。
手持ちの資料に福岡1000形に牽引されて渡辺通り一丁目を通過する宮地岳線車両の写真がありますので。宮地岳線改軌後ですが。