08/12/02 19:35:32 ZyoEpOR/
松田伝十郎著『北夷談』文化5年(1808)の記事より。
(仮名遣い等は原文ママ、<>は割注)
一、六月十九日、和波にて此入江を渡海してナツコ<地名>と云所へ至る。此所より
山靼地至て近し。引汐には海草一面に顕れ瀉となり、歩行もなるべくよふすに見ゆ。尤
引汐になるとはやさし汐となり、至て汐路六つヶ敷、中々舟行成がたく、是非なく此処に
舟をさし置、夫より陸行してラツカ<地名>と云崎に至る。此所より奥の方海草腐れ、
深く踏込み中々寸歩も陸行ならざるゆへ、此処にて東西南北を見渡す処、山靼地
マンコウ川吐口等もはきと見分しゆへ、カラフト離島に相違なし。是より大日本国境と
見極めたり。此所より山靼地へさし渡し四里程にして草色も分り、地名カウマタ、
モチツブ右の山々目当に方位を振りて粗地図を取る。此ラツカといふ所より、先は迚も
人力にて行ことかなわず。
※間宮海峡を最初に確認した松田伝十郎は間宮海峡を国境と考えていたようです。