08/09/15 00:13:06 3i0GKdHn
>>96
渋谷~青山一丁目の部分開業時は複線で運転、多分東急車両のみ。
渋谷~永田町の部分開業時は、青山一丁目~永田町が単線で、
永田町駅は今の複線シールドの半分だけを使って15分間隔位だったかな。
そのときもまだ東急車両だけだったかも。深いエスカレーターの登場。
渋谷~半蔵門の部分開業時は、全線複線で営団車両も登場。
始めから上り下り線路の中央にあった引込み線で折り返しの転線。
この時代は数年は続いたが、周辺居住の乗客は閑散駅のゆとりを満喫した。
>>97
反対運動の取引材料で、走行騒音の低減にこの付近の線路構造物の
下(底)スラブの厚さを大幅に厚くしたらしい。
効果は疑問、どうせ急カーブで速度は遅いから。
反対運動で建設が遅れたのではなくて、
半蔵門~三越前の建設で九段下雉橋の凍結工法での難工事とか、
急カーブで民地の下を通る部分の区分地上権の設定とか、
景気減退で道路特定財源の手当てが出来なかったとか、
他の要因があったのに言い訳に使われた感じがする。