08/12/15 17:25:37 xTGK2JG+
>>828
大正末年開業の北海道鉄道の起点で、1番2番線だったかと。
そこに定鉄が乗り入れていたのは昭和5年から。
定鉄は電車のまま札幌に希望していたんだよな。
でも札幌にまで架線を民間に張らせるのはいかがか?
国有財産の中に民間が闊歩するのは、とんでもないことではないのか?
とクレームがついて、札幌乗り入れにはDCで、なおかつ現国鉄線上から架線を撤去せよ。
という交換条件が成立した。
昭和32年の話。
まだ東急系の前の浅野時代。
苗穂まで架線を張ったのは私鉄の北海道鉄道時代だったので、しょうがないにしても、
国鉄としては、いつまでも国有財産になった路線の上に民間の架線を張らせているというのは・・・と
まぁ嫌であったんだろう。
その既存事実を、乗り入れ希望とともに外したかったというオチ。
その後は貨物線として使われていたけど、平成初期に北ガス線撤去で事実上運用用途は無くなったね。
今は引き直した留置線2本が「1番2番」名乗っているのかもね。