08/10/04 21:09:34 M4SNmWaT
紋別の話題が続いているようなので、紋別生まれの俺が通りますよ。
1979年の正月だったかなあ。おいらは当時バリバリの小学生。
紋別の親戚や従兄弟と遊び、お年玉をたっぷりもらって札幌へ帰るという日の朝。
つか朝といっても夜明け前で真っ暗なんだけど、名寄周りの札幌行きという列車に乗る。
普通は紋別駅から乗るんだけど、どケチなおかんが家族四人分の切符を自由席で購入。
それならばということで、紋別の叔父さんが一つ先の元紋別まで送ってくれることになった。
この意味が分かる間もなくほどなくして列車が到着。家族四人がわけなくBOXに座れた。
次の紋別駅で客がドッと乗り込んできて、自由席ではすでに通路に客が溢れていた。
元紋別まで送ってくれた叔父さんの行為がようやく理解できた。
その後も興部、名寄と要所で人が溢れに溢れ、トイレに行くにも一苦労の状態に。
だけど皆慣れてるのか、通路に上手くカバンやらを置いて、そこを席にしてしまうんだな。
親切好きなおかんも棚の上の荷物を目一杯重ねて、「ここに荷物置けますよ」と通路の客に言う。
その客もありがたい!と負けじと荷物をギューギューに詰め込むwww
旭川に着く頃には、二重窓の隙間が霜でびっしりと覆われていた。
何だかよく分からんけど、札幌よりずっと寒い所なんだろうなという印象を受けた。
その旭川の停車中に買った駅弁とブタ汁は美味かったなあ。
話しが前後するけど、興部あたりで車窓から見たオホーツクの夜明けは実にきれいだった。
子供心に強く印象に残っている。