09/03/15 14:20:02 FnghhGdL0
>>298
>>小沢監督もその試合が分岐点となり、その後上位進出できない年が続きますが、
>>7年後の春・夏共にベスト4、その翌年の春に8強、2年後の春8強と続けて結果を残しています。
別にケチをつけるつもりはないのですが、その当時の結果には小沢監督自身不本意だったと
何かで読んだ(多分山陽新聞の特集記事)記憶があります。というのがその頃の倉敷工は優勝候補
に毎回のように挙げられていながらいつも今一歩のところで敗退を繰り返して頂点に一度も
届かなかったからです。まあ、その当時に津山商のまさかのセンバツ選出&不祥事で出場辞退に
翻弄されて、故障を治療しないまま小山投手が急遽甲子園出場となり怪我を悪化。翌年の黄金チームが
未完成のまま敗退といった不運もありましたが。特にこのチームは4人ものプロ選手を輩出した
強力チームで小沢監督自身「自分が手がけた歴代のチームの中で最も惜しかった」と嘆いた程でした。
今では考えられないかも知れませんが、その当時は全国制覇可能な優勝候補筆頭チームと評されていたのですよ。