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幕府や他藩が眠りこけていた時、佐賀藩は、フェートン号
事件で西洋の強さを知り、このままでは、日本が植民地に
されると思い、西洋の技術をとりこんでいる。西洋が世界
中を植民地にできたのは、産業革命による蒸気船と鉄製の
大砲のおかげで、佐賀藩も20年をかけてつくっている。
ペリーが江戸に来た時、江戸の装備があまりにも旧式だった
のでなめられまくっている。すぐ後、当時アメリカよりも
大国だったロシアのプチャーチンが長崎に来た時は、佐賀
藩が作った鉄製の大砲があったので威圧的には、これなかった。
その時幕府の使者がプチャーチンとの話しあいに来た帰り
に佐賀の大砲に驚き将軍に報告して全国にひろまり、全国
の藩からけんがくにきている。日本のため、佐賀藩が最初
にうごいている。