10/01/19 19:53:27 f4Z+/wYf
>>754
その指摘は間違ってはいない。
弱者の願い・不満・怒りをそのまま社会に向けず、自らが受け、それを、
公開に耐えうる社会への正当な要求へ作り変え、しかしそれは、
現場の悲惨さを感じさせないドライなものではなく、十分にウェットな、それでいて
論理的な社会的要求へと昇華させることが大事。
そして従来無かったジャンルの「弱者適応」を実現した際の社会の変容やその社会が
追わなくてはならない金銭的コスト、治安的コスト、その弱者が不適応を起こしなおかつ
それが暴力的な色合いを帯びた際の「新たなる弱者」への救済等、
要求するだけではなく、要求の結果の責任も取れること、それが、
21世紀のあるべき福祉のリーダー像だと考えています。
従来の障害者福祉向上運動が、総合的な視点を欠き、また、必要以上に
社会、日本国を敵視していたことは事実だし、あるいみ左翼のクグツとして障害者の
怒りが利用されてしまったことは認めざるを得ない。
しかしだからといって、このままで良いわけではなく、障害当事者やその支援者を中心に、
いままでとは違う、「弱者からの責任ある社会的要求」を考えていかなければならない。
暴力による変革は誰からの理解を得られないが、しかし、「システムからの無視」もまた
巨大が暴力であり、対抗するためには大きな声を上げざるを得なかった背景も少し
理解して欲しい。今後は、障害者自らが、自らの要求の社会的アカウンタビリティを
果てしていく、社会的存在であることを自らアピールしていくべきだと思うし、
できる範囲で、そうなるように、社会にも障害者にも厳しい福祉の一員としてがんばりたいと
思う。
自慢じゃないが、私は、障害者支援をする健常者以上に、障害者を強く叱責することもある。
ハンディ分は許容するが、障害者の過ちが人間性・人格から起因するものであれば、
それを障害を隠れ蓑にごまかそうというならば、私はそれを非難することを躊躇しない。
私の目から見て、匿名掲示板を用いての障害者を不利にする風説の流布という
ハンディキャップ板の一部の卑劣漢の行為は、到底看過できるものではない。
君はそういう人間ではないが、私は一部人間を、心底軽蔑すると同時に、哀れにも思う。