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竹島(韓国名・独島)をめぐり日韓両国が領有権を主張する中、戦後間もない一九四七年に韓国の
調査団が、同国側が竹島の古い名前だと主張する「于山島」を鬱陵島と同一視していたことを示す史料
が見つかった。二十二日の「竹島の日」を迎え、韓国側の主張の矛盾を裏付けるものとして注目を集め
そうだ。
史料は、島根県の竹島資料室が見つけた。
米軍政下の暫定政府の要請に基づき、竹島などの領有権を固めるため、朝鮮山岳会が四七年八月に
学術調査した内容を、民俗学者の同会の宋錫夏会長が翌四八年にまとめた。竹島の北西九十二キロに
位置する鬱陵島について、歴史や朝鮮本土からの位置関係など島の概要を紹介している。
この中に于山島そのものの表記はないが、「太宗十七年(一四一七年)」の年号や「按撫使の金麟雨
が鬱陵島で大きな竹や水牛皮、綿子、検樸木などを献上した」など、一四三一年編さんの韓国の歴史書
「太宗実録」で初めて登場した于山島に類似する記述を、鬱陵島のこととしている。
また、于山島と関連があるとされる于山国が、歴史書「三国史記」に登場する年号「新羅智証王十三
年(五一二年)」も記されている。
竹島資料室の錦織希衣さんは「韓国側が調査当時、于山島を鬱陵島と認識していたとみられる」と
指摘。「于山島が竹島という韓国側の主張が、成り立たないことを補強できる史料」とした。
于山島をめぐっては、韓国在住の米国人研究家ゲーリー・ビーバーズ氏が、韓国の古地図や文献を
基に、于山島は竹島ではなく、鬱陵島の北東に隣接する竹嶼(ちくしょ)を指している、とする研究
成果を発表。島根県の竹島問題研究会も同様の見解を示している。