10/07/05 09:11:01 muOIUwNp
一部だけだけど投下
【ブログ閲覧者からのメール】
今日のブログで「BASARA人気と共に元親人気も薄れてしまうのが心配、だから高知とのコラボは嬉しくない」という論文投稿がありましたが、
私は長宗我部元親という名前を知ってもらうという点では今回のコラボはとても意義のあることだと思っています。
しかし史実と創作の区別ができないままに歴史的人物を単なるキャラクターとして見て史跡を訪れるということに違和感を感じます。
頭が固いかもしれませんが、そこで生きていたのは生身の人間でありキャラクターではないんだという思いが強いのです。
私も今年の夏に高知に行き史跡巡りをして、高知は本当に素晴らしい所だと感じました。
他の地域の寺社で絵馬や参拝ノートにキャラクターの事や絵が書かれていて嫌な思いをしたことが何度もあります。
史実と創作の区別がつかない人が残していくのでしょうが、高知にはそんなふうになって欲しくないです。
【以下中の人のブログ記事】
【投稿】史実と創作の狭間
戦国BASARAにあって戦国無双にないものがある。
それは「史実と創作を橋渡しする力」だと俺は思っている。
価値観と言うのは人の数だけ存在するものでね。
これはダメだ、こうあらねばならぬ、と言い出すとどんどん門戸が狭くなる。
折角創作の世界から史実の世界に歩み寄ってくれた人を追い払う事だけはしない方が良いんじゃなかろうかと言う気がしているのだ。
BASARAはあくまでもきっかけだからね。
勿論、何時までもキャラクターと実在人物を混同したままではまずいのだろう(^_^;)。
だから、史実に詳しい人は、時には想像の世界から抜けきれずにいる人の手を引き、時には道しるべになってはもらえないだろうか。本物の持つパワーを信じてね。
もしもリアル元親を知っても魅力を感じない人がいたら、そう言う人は早晩BASARAブームと共に去って行く。
気にするだけ無駄だ(^_^;)。でも、そうじゃない人の方が圧倒的に多いと、俺は信じている。
……おっと、まだまだ史実の元親を勉強中の俺が言うのもおこがましいか(^o^;ゞ。