09/01/30 22:36:59 /mnMC4F/0
「今日は長引いているわね。おまけに疲れているのに眠れない」
布団の中でリビングからの騒音に千早はため息をつく。
レッスンで体を動かし、疲れて帰ってきて、シャワーを浴び、やっと眠れると思ったのに･･････
「レッスンが充実していたのが原因かしら」
今日は特に調子が良く、プロデューサーも時間があったのかレッスン時間を延長してくれた。
そう言った意味では普段より疲れているはずなのだが、精神の高揚が疲れを吹き飛ばしたようだ。
「はぁ、明日は仕事も学校もないけど･･････」
呟きながら、目を閉じた千早の耳に、リビングから物が投げられる音が聞こえた。
目を閉じている分、聴覚が敏感になっている千早の耳に容赦なく聞こえる音。
「いい加減に止めて･･････お願いだから･･････」
祈るように呟き、布団を頭まで被る。
耳栓を使いたいところだが、それでは目覚ましの音も聞こえなくなってしまう。
「プロデューサー･･････私･･････早く自分の･･････自分だけの居場所を作りたいです」
呟いて奥歯を噛みしめるがそんな状態で睡魔が訪れるはずもなく、千早は布団から顔を出す。
時計を見ると日付が変わったばかり。普段ならぐっすりと寝ている時間だ。
リビングの騒音は収まりそうになく、千早はついに寝るのを諦める。
「音楽かラジオでも･･････駄目ね、目が覚めそう」
どうしようか考えていると、帰りに見た夜空を思い出した。
「部屋にいるよりも気分転換になるかも」
千早は一つ頷き、服を着替え、財布を手にそっと玄関から外に出る。
仮にチェーンをかけられ、家には入れなくなったら、何処かで朝を待とう。
エレベーターホールで少し考え、一度一階に下りて自販機で温かい紅茶を買い、
ヒートアイランド対策でミニ公園となっている屋上へと出る。
「思ったよりも静かね。ここを選んで正解だったわ」
千早は上着を着直し、手摺りに寄り掛かり、空を見上げる。
森林が多めの環境のおかげで空気も澄んでおり、夜空が綺麗に見渡せる。
「今なら声が届くかもしれない」
届けたい相手を思い出し、千早は大きく息を吸い･･････そのまま吐き出す。
防音性の高いマンションだが他のマンションや家には聞こえるかもしれない。
仕方がないので囁くように、祈るように歌う。
小さな声だが不思議と澄んだ空気が自分の歌を何処までも運んでくれる気がした。
「ふふ、少し気が晴れたかも」
小声だったが満足できたのか、ようやく千早の表情が緩む。
以前にプロデューサーと自分の居場所について話したのを思い出す。
「以前は夜空を見てはため息ばかりだったわね」
夜空を見上げ、星を見る度に思った。人の心が星のように清らかなら、と。
しかし、最近になって、彼と出会ってから違う考えも出てきた。
ネオンの光も美しいのではないか、と。
「そう言えば、プロデューサーの答えを聞いていない」
自分でも不思議なくらい他愛のない内容のメールを送っていた。
と同時に何気ない疑問を聞いてくれる人がいることに安堵する自分がいる。
彼へ送ったメールは返事が来ないこともあったが無視されたことは一度もない。
返事がない時は次に会った時に必ず何らかの返事をくれた。
自分を見てくれている人がいる。そのことが千早には何よりも嬉しい。
ふと思い出し、携帯電話を取り出し、彼へのメールを書く。
彼に無性に自分の歌を聞いてもらいたくなった。
時間的にはかなり遅いので千早は迷ったが思い切って送信する。
「さすがに返事は来ないでしょうね･･････あ、来た。やっと家で晩ご飯ですか。お疲れ様です、ふふ」
なんとなく深夜番組を見ながら、缶ビールとコンビニ弁当を食べる彼の姿が思い浮かぶ。
少し考え、彼への返事を書く。彼は今日も出勤するはず。
「コンビニ弁当ばかりでは栄養が偏りますよ、と。でも、プロデューサーが自炊している姿は想像できないわね」
ちょっと想像してみたが違和感がありすぎた。まだ自分が台所に立っている姿の方がしっくり来る。
「今日も事務所に顔を出しますので時間があれば、レッスンをお願いします、と」
無事送信できたのを確認し、再び夜空を見上げる。
「プロデューサー、どうか私にこの大空を翔る翼をください」
小さく呟き、目を閉じると不思議と心が穏やかになる。根拠はないが頂点へと通じる道が見えた気がした。
「プロデューサーは私の歌にどんな感想をくれるのかしら？」
今日のレッスンも充実したものになる予感を胸に千早は踵を返した。
本当に忙しいとコンビニで妄想する余裕もないことに気付いた