09/01/01 01:53:49 Ihg5n96m0
■大晦日の風景(ランクA)
「……け、結構な、御手前で……」
茶碗を置く動作に淀みの無い、洗練された振る舞い……さすがはダテにお嬢様を名乗っていない。
が、俺のたてた茶の味が意外にも美味しかったらしく、ちょいと言葉が詰まったようだ。
時はすでに年の暮れ、大晦日。
765プロでは、あずささんと律子くらいしか法律上夜に働けないので、伊織の仕事は日中まで。
紅白は如月千早に任せて、うちのお姫様はバラエティ系で動いてもらう。
が、面倒な撮りはもう終わったし、正月はご家族揃って迎えるのが水瀬家のルールらしい。
夜には下のお兄さんもアメリカから帰ってくるというので、俺達は郊外から離れた地方の寺にいる。
水瀬家に戻る前に、今年を振り返ろうと思った俺は、伊織を連れて寺の茶室を借りた。
地方ならではの空気の美味さと、冷たい空気の醸し出す雰囲気が、俗世を忘れさせてくれる……
そんな場所でただ、まったりと茶を淹れる……こんなにゆっくりするの自体、久しぶりだ。
「正直に言うけど、アンタがこんなに茶道に精通してるなんてね……見直したわよ」
「そりゃどうもありがとう。ま、男に茶道や華道なんて普通は縁の無いもんだしな。
だが【芸事】という意味では共通だしな。学べるものは多い」
ライブも茶道も【人をもてなす】という意味では一緒だし、人間の考え方を学べる場所だ。
別にこんなの知らなくたって死にはしない。ただ生きるだけならば、食えて寝れりゃOKだ。
でも、その考えで生きてると悲しいかな、アイドルの存在意義が消えちゃうんだよなぁ……
「わたしは礼儀作法も兼ねて習わされたけど、それとは別に礼法も習ってたのよね……
だから、なんでこんなのやんなきゃいけないのって思ってたわ」
「勿論、それだけじゃないからだ。茶を通してもてなしの心や生き方を教わったりもできる。
………まぁ、子供の習い事にそこまで要求しないけどな、普通。
だから、詫び寂びの心を習うわけじゃないし、茶道具の凄さも分からないままってのが多い」
「そうね。ワケわかんないわよ……なんとかナスっていうただのイレモノが国宝レベルとか」
「ああ……九十九髪茄子な。モノ的価値よりも、歴史的価値や資料的価値が上乗せされてるからな。
でも、本当に素晴らしい品だと思うよ。最高の芸術品ってのは、やっぱり見るものを圧倒する。
だからこそ、後の世になって歴史的価値が付くわけだ。しょうもないモノには絶対に価値は付かない。
女の子が大好きなブランドもののバッグだってそうだろ?そこに価値が乗るのは、
【持っていると優越感に浸れる】という付加価値があるからだ。そのブランドを確立するには、
本当にいいものを作り続ける必要性があるわけだけどな」
人はパンのみにて生きるにあらず……なんて言葉があるが、アイドル界なんてその最たるものだ。
そして、ひたすらに華やかな世界だからこそ、実は詫び寂びの概念が大事だったりする。
「世間が慌しい大晦日にこんな場所へ来て、寒いけど落ち着いた雰囲気と美味しいお茶、か……
うん。なんかすっごく気持ちいい。安らげるって言うか……アンタの『ゆっくりしよう、伊織』
って気持ちが伝わってくるわ。もてなしの心って言うのかな……ありがとう……ね」
いつもなら、面と向かって『ありがとう』なんて、真っ赤になりながらいう台詞なのに……
この空間のためか、本当に素直な気持ちなのか、いつものテレが無い。
若干調子が狂う気もするが、伊織の素直な感謝と笑顔は……すごく、可愛い。時を忘れて見とれるほど。
激レアという希少価値を通り越しても、伊織のこんな笑顔を見た人間が、果たして何人いただろうか?
それを考えただけでも、俺は今年最後でありながら、最大の幸せを得たような気になった。