08/09/10 22:44:39 uE+UrQgb0
「ああ、疲れた。シャワー浴びて、ビール飲んで寝よう」
突然の雨にため息を付き、ようやく帰宅した彼を本日最後で最大のイベントが待っていた。
「あ、プロデューサー、お帰りなさい、お疲れ様でした」
「千早、なんでここに? いや、理由は後回しだ。狭い部屋だがあがってくれ」
玄関の前に大きな荷物を持った千早が思い詰めた表情で座っていた。
ここ数日、寝不足気味に見えたので心配していたところだ。
「すいません、お疲れのところに押し掛けてしまって」
「いや、それは構わないが何時から待っていたんだ?」
彼女にお茶を渡しながら、彼が時計を見ると九時近く。
「夕方から本屋やCDショップを回っていたのですが、どうしても家に戻る気になれなくて」
荷物を持って家を出たと言うことは、最初からお泊まりの覚悟だったのだろう。
「萩原さんや真の家に泊めてもらうことも考えたのですが・・・・・・七時を過ぎていたので頼みにくくて」
「それで俺の部屋に来たわけか。千早が俺を頼ってくれたのは嬉しいのだが・・・・・・」
こんな千早の表情はAランクになってから見ていない。
千早の両親は離婚後、落ち着いて考える時間が出来たのが幸いし、数日前に再婚している。
千早は「再婚するくらいなら、最初から離婚をするべきではないと思います」と
嬉しさを必死に隠した呆れ顔で彼に報告したものだ。
そして、「行ってきますとお帰りなさいが言えるのが嬉しくって」と呟いたのが印象深かった。
「その、またご両親に何かあったのか?」
「・・・・・・はい、ですが、プロデューサーが考えているのとは逆の方向だと思います」
千早はため息を付き、お茶を啜って口を湿らす。
「よく理解できないが、喧嘩をしているとかじゃないのか?」
「はい、その点は大丈夫です。むしろ、仲がよすぎるくらいで・・・・・・」
再びため息を付き、千早は天井を見上げる。
「仲がよすぎて、私の前でもイチャイチャしていて・・・・・・」
「はい?」
「もう四十路も近い夫婦が朝は行ってきますのキスをしたり、夜は夜でただいまのキスをしたり・・・・・・」
「な、仲良きことは美しきかな、じゃないかぁ」
「それだけでも見ていて恥ずかしいのに、食事の時は『あ~ん』とかしたり、
食後はテレビを見ながら、肩を抱き合ったり、膝枕で耳かきですよ。
音無さんが『アウトォ』と叫ぶ気持ちが分かりました」
「千早、なんか煤けているぞ、色々と」
「それだけなら、まだ我慢します。いえ、我慢できます」
「まだ他に何かあるのか? いや、言いたくないなら、別にいいけど」
彼の問いに千早は何かを言おうとして、頬を赤らめる。
「私の家がマンションなのはご存じですよね?
一般的な家庭向けマンションなので、隣や上下の家への防音は十分なのですが、
家の中の壁は薄くて、音がそれほど遮断されません」
「スペースを広く取るために薄くしているらしいな」
「はい、それで・・・・・・その・・・・・・聞く気がなくっても・・・・・・聞こえるんです」
「聞こえるって、親のいびきとかか? 最近の千早は寝不足みたいだったが」
「いびきの方が良かったです。・・・・・・あの時の声とかが聞こえるんです」
「あの時って?」
「その、あの、夫婦の営みの・・・・・・」
真っ赤な顔を伏せる千早を見ながら、彼は自分の両親に置き換えて考える。
「か、かなり、嫌だな」
「さすがに両親には直接言えません、こんなこと。でも、もう限界で・・・・・・。
プロデューサー、お願いします!! 今晩、泊めて下さい!!
あと父と母から一人暮らしの許可を取り付けるのに協力して下さい!!」
「わ、分かったよ。とりあえず今日は俺のベッドを使ってくれ。
明日の夜にでも千早のご両親と話してみるよ。今までよく頑張ったな、千早」
「あ、ありがとうございます、プロデューサー」
千早は自分の苦しみを理解してもらえたのが嬉しかったのか、
彼に抱きついて、ありがとうを涙混じりに繰り返した。
三日後、彼の隣の部屋に如月のネームプレートが入ることになるのは別のお話。
数ヶ月後、両親の仲がいい結果、千早が再び、お姉ちゃんになるのも別のお話。
しばらく先の未来、某家庭の子が同じ理由で一人暮らしを目指すのも別のお話。
別の意味で家を飛び出し、Pの家に転がり込む千早もいる、とコンビニで何かが囁いた