09/12/05 11:08:54 PM9HLXLc
>>417の説をより確かなものにするために再び質問するが
真面目に答えてくれ
>>422
碑文外のヒントとそぐわないのが難点というが
鮎の川が旧東海道なら、それが貫いている“金蔵の故郷”なんてそれこそ江戸の日本橋から
京都の三条大橋まで全部想定出来るので碑文の解読には必要ないだろう
そりゃあ絵羽のように故郷を知っていたら「川のような流れ」、「海にでる」や「海まで」という発想だけで
故郷を貫いている旧東海道が鮎の川と連想できただろう
つまり故郷はそこまで重要じゃあないということ
でなきゃ故郷を知ってたはずの兄弟達が誰一人として「里」を見つけられなかったのが変だ
故郷は小さな通過点の一つにしか過ぎなく、そんなミクロな場所を探っても何も出てこなくて当然
それと比較すると鮎の川は巨大な流れ
故郷から飛び出したら、「里」に当てはまる物はいくつもある
人口密集地をいくつも貫いているから絵羽はここで悩んだ、「里」ってなに?と
子供の出す下らない謎々で考えたら碑文がいわゆるダジャレだと気づける
ダジャレは同じ発音で意味の異なる言葉を上手く繋げる言葉遊びのこと
旧東海道が「懐かしき、故郷を貫く鮎の川。」と読点で一度区切られているのは
「旧」と「東海道」に分けて考えるため
懐かしき意味の「旧」は文字を分解して「1日」、第一の晩を意味する
故郷を貫く「東海道」はその発音「とうかいどう」から「とおかいどう」とすれば「十日移動」に変換出来る
繋げると「第一の晩から第十の晩までの旅」となり、それが「鮎の川」の正体
>>424
ネタにしかみえないと?
「第一の晩に、鍵の選びし六人を生贄に捧げよ。」が「鍵の選びし六文字」と絵羽や戦人、ヱリカは考えていた
だから「その里にて二人が口にし岸を探れ。」の「二人」も二文字のことだと考えられる
二人が同じ言葉を唱えるというのが、二文字が意味は違えど同じ発音であると考えるのが自然だろう?