09/07/25 22:33:03 kzhhlpaO
>>151
そういう意味だったのか。喧嘩腰になってすまなかった。
たしかに考察作業の楽しさや、考察を話し合って起こる化学反応みたいな楽しさは
作者の意思と独立してるところがあるよな。
いわば俺は、うみねこは考察やらない派なんだけど、
それは当たる当たらないにかかわらず、ひぐらしのときに
「タイムテーブルや登場人物の行動表をじっくり作って読み込んだことが、後から時間の無駄に思えた」
という読後感を残したからなんだ。
不自然に見える膨大な細部、真相とは矛盾するような箇所、それらが単に無かったことにされた感。
真相と考察の方向性は一緒でなくてもいいんだが、
あまりに粗の多い真相のせいで「そもそも考察に耐える作品じゃなかったのでは」と思ってしまった。
うみねこがこれとまったく同じ完結の仕方になるとは思えないけれども、
「幻想」「魔法」によって、あるいは創作説によって、
ともすれば簡単に梱包できてしまえるのは、同じような構図に感じてしまう。
不整合や矛盾、おかしな行動、不明点などのもろもろが
「その魔法の企図にとっては重要じゃありません」で消化されるというか。
これは粗が出ない代わりに、粗を粗としない処理なだけで、大味なのに違いは無いのでは…と。
これらのため、俺は考察のモチベーションが減退している。
また、ある意図なり上位世界なりで解決できるというのも考察モチベーションの減退につながっている。
俺にとっての「考察やらない理由」でしかないんだけど、
竜騎士の作品にとって、考察作業はスリルのある面白い要素なのだろうか、という疑念がある。
なんかうまく自分の納得のいかなさを言葉にできないので、モニョモニョしてるんだけど。