09/09/11 18:17:58 Z92vOXkk
>>444
元米軍夜間戦闘機パイロット エドワード・ライアンさん(87)の証言
「私たちの隊の主な任務は、夜ごと攻めてくる日本軍の爆撃機から沖縄の基地を守ること、止めること
そして時に、日本の島々の軍事施設を攻撃することでした。」
義烈空挺隊突入の午後10時過ぎ、ライアン少尉は次の飛行に備えテントで仮眠を取ろうとしていました。
「同じテントで生活していた仲間のパイロットが走りながらテントに入って来て言った
『ライアンここから逃げろ、日本兵が突入してきた』
彼がここから出ろと言うし、テントにいられないので急いで自分のヘルメット、銃、弾帯をつかんで
テントから飛び出した時、ものすごい爆発が起こりました。
それは義烈隊が7万ガロンの燃料タンクに火をつけたものでした。」
その時火柱で空が赤くなり、昼間のように明るかったそうです。警報解除は午前3時。
ライアン少尉は飛行場の被害を調べるため、6時頃壕を出ました。
「私はすさまじい破壊の跡に驚きました、人ではなく物へのダメージに。
全てが終わり数えると、高価な飛行機9機が完全に破壊され、更に29機が大破し使い物になりませんでした。」
ライアン少尉達は司令官のマクルーダー大佐から2つの重要な話を聞きました。
「1つ目は明らかに将校と見られる遺体から詳細な地図を見つけたこと…
全ての夜間戦闘機が置かれている場所と全てのパイロットが宿泊するテントに印がついたものだった。
2つ目は、日本軍の諜報機関は優秀だから日本軍が沖縄の南へ退却した後残された現地人の多くは諜報員で
彼らが我々の話を盗聴して重要情報を東京に伝えていたのではないかと思われる。
これからは現地人の助けは借りず、自分たちのことは自分たちでやれと命令されました。」