09/10/18 10:22:06 U5JjgQtT0
Q.作中の登場人物、そして私もピサロに同情しています。同情する者が一人でも居る以上、それは
同情の余地があるという事ではないのですか?
A.一般的に「同情の余地」とは、同情する人が居るかどうかとは無関係な使われ方をしています。
このスレでも同様です。同情するしないは個人の自由ですが、「同情の余地」が有るか否かは
あくまでも酌量の差し引きによって(一般的な意味で)客観的に決めるという考え方をします。
現実にも凶悪犯に同情して獄中結婚する事例がありますが、だからといってその凶悪犯に
「同情の余地」があったという事にはなりません。
Q.「ピサロは同情の余地なき悪党」というのはアンチの主観による決め付けですよね?
余計な議論を呼ぶこのスレタイは、変えるべきではないでしょうか。
A.ピサロは既に実際、自ら数々の悪事に手を染め、人類根絶と世界征服の為に行動しています。
またFAQにもある通り、野望成就の動機となる深い事情も描写されておりません(現に6章ではあっさりと野望を中断します)。
何よりも、ピサロ自身がその事を一切反省しておらず、時系列的にもロザリーの件がピサロの酌量の要素に当たらないため
ピサロに同情の余地は無いし、あったとしても確実に消滅していると判断されます。
よって、スレタイ変更の必要性はありません。
Q.そもそもピサロは人間ではなく魔族であり、人間とは違う価値基準を持っているはずです。
人間の価値基準で彼らの所業を悪だと断じることはできませんよね?
A..「ピサロに同情する」という意見も人間の価値観でのものです。
「ピサロに同情する」と主張する時にはピサロを人間と同様の存在のように位置づけて自論を展開しておきながら、
彼の行いを正当化する際には「ピサロは人間じゃなく魔族だから」と魔族の価値観について持ち出すのは、
ダブルスタンダード以外の何物でもありません。
Q.こんな主張してる人ってピサロアンチじゃないんですか?
A.単に「よく考えると世間評と違って実態はゾーマ等他の魔王と変わらない同情の余地なき悪党だよね」と言ってるだけです。
悪を悪と評価する事がアンチに分類されるならばゾーマは殆どアンチしかいないことになります。