09/02/22 22:12:49 b3AmehaP0
272 名前: [] 投稿日:2008/09/23(火) 23:49:04 ID:nBdCxVT60
トル信アンチジーコが悦ぶ教祖の言葉責め。
『2002年大会は、地元開催という地の利があった。
ホスト国として予選を免除され、
目先の勝負にこだわることなく集中的な代表強化ができた。
今回は違う。アジア予選を突破しなければならないうえに、
主力となる選手たちはヨーロッパのに移籍している。
チーム作りに十分な時間が割けるわけではない。
またドイツでの開催は、ヨーロッパ勢にこそ地の利がある。
選手のほとんどがヨーロッパのクラブでプレーする南米勢や
アフリカ勢にとっても、ドイツは日本や韓国のような未知の場所ではない。
時差や気候への適応も心配ない。
さらにFIFAが5月14日に各国リーグを終了することを決めたため、
どこの国も大会前のコンディション調整は万全。
シーズン終了後、十分な休養もとれないまま慌しくアジアへ
旅立たねばならなかった前回とは、条件がまったく異なる。』
『選手が国内に留まっていれば、
Jリーグの合間に召集して合宿を組むことも可能であった。
私の場合がそうで、海外でプレーする選手は中田英寿くらいで
ほとんどは国内組であったから、代表の活動に年100日近くを当てられる。
ふんだんな時間を利用して、
私は実験室でトルシエ流サッカーを選手に植え付けることができた。
ところが2002年ワールドカップの後、
選手達は次々とヨーロッパのクラブに移籍し、世界的に評価を受けるようになった。
ジーコにできることといえば、グループを維持しながらFIFAが定めた
国際マッチデーに試合を組むこと以外になかった。』
『中東勢ではカタールやUAE、バーレーン、オマーンらがぐんぐん力をつけてきている。
日本対オマーン、日本対バーレーンは、もはや日本が常に勝てる試合ではなくなった。
私が指揮をとっていたレバノンアジアカップの頃に比べると、全体のレベルはずっと平均化した。』
(フィリップ・トルシエ著 『オシムジャパンよ!日本サッカーへの提言』 第1章より抜粋)