08/11/04 12:46:41 mxvYQdZ4
こんにちわ。
ずっとロムっていましたが、一区切りついたので書き込む事にしました。
2年前の4月、約8ヶ月ぶりに実家に帰ると、母の頸部が腫れていました。
直ぐに病院へと連れていった所、頸部の細胞を病理検査に回すので1週間後に再来院してくださいと。
帰る前に、採血、CT、レントゲン撮影をしてその日を終えました。
不安を抱え、指定の時刻に診察室へと入って行きましが、母とは別室に通され担当医から
先に話をしたいと言われました。
母は肺癌で、ステージ4で手術は出来ず、何もしなければ3ヶ月、抗がん剤放射線治療を併用し
副作用の問題から、全ての治療をクリアしても約27ヶ月の生存率と宣告されました。
「お母さんに告知します」と言われ、わたしは思わず「待って下さい」と言いました。
母の性格を考えた時、自身の病気、余命を受けとめられるかが不安だったのです。
検査入院ということで母を病院へ残し、わたしは家に戻り父と姉と話し合いました。
「治療があるから病名は仕方ない。余命に関しては母には言わないでおく」これが家族の答えでした。
その日から、1日も欠かす事無く病院へと行き、母との時間を過ごしました。
1年の大半を病院で過ごしていた為、お正月だけはと、医者から治療の予定を組んでもらいました。
ですが、骨髄抑制の副作用が激しく、治療の半分もできませんでしたが、なんとか家で過ごせたのです。
母の顔を見るたび、余命を告げなかったと言う、罪悪感が沸きだして来ました。
その後も入退院を繰り返し6月30日に再入院。医者から、もう家には帰れないでしょうと言われました。
どんどん腹水が溜まり、抜いても抜いても駄目でした。
それでも母は、お正月の話をしたり、わたしと手を繋ぎながらも、自力でトイレへと歩いていました。
意識が遠退く3日前まで。
10月27日、初めてモルヒネが投与されました。眠りながらも、家族の会話に耳を傾け笑う母。
翌日からは反応が少なくなり、頷く事で意思表示をしていました。
その反応も無くなり、わたしは母の顔と、ベッド横にある機械を繰り返し見ながら
反応の無い母に話し掛けました。話すと言っても、ごめんね、この一言に尽きてしまいました。
30日朝、呼吸が少しずつ弱まり、8時50分に30ヶ月の闘病生活を終えました。61歳でした。
医者や看護師さん等から、毎日ご苦労様だったねと、わたしは労いの言葉を頂きました。
ですが、色々な後悔があります。中でもやっぱり、余命を伝えなかった事。
母の命の終わりを母は知らなかった。知っていたら、母はもっと違った生活が出来たかも知れないと。
今となっては、どうする事も出来ないのですが…。
わたしが言えた事ではありませんが、病気と戦っている本人に、後悔しない最期を迎えさせてあげるのは
本当に難しいと思いました。家族も大変ですが、本人はもっと大変です。
どれだけやっても後悔は残るでしょうが、ご家族の方も、頑張って下さい。
長くなってごめんなさい。