09/12/22 22:53:49 Fl/hSSlR
スレ立て乙
前スレに変なの沸いてるけど気にするな
3:名無しの与一
09/12/23 08:08:28 sID9FzFu
息を吐くと、次には自然とお腹が膨れて息が入ってきます。
今度は、自然にお腹がへこんで息が出て行きます。
この時、息を吐き終わって其の侭にしておくと、間もなく苦しくなります。
それを避けるために、横隔膜などの筋肉が緊張して、息を吸い込むんです。
吸い終わると楽になります。
その後息を吐きますが、筋肉の弛緩ですから、もっと楽になります。
この楽は、なんとも甘美なものですね。
しかし、この楽も長くは続きません。
それで、また筋肉を緊張させて息を吸います。
知や意や情を伴わないで呼吸してみると、上記のような事が実感されます。
つまり、息苦しくなった時には、筋肉の緊張(吸う)という働きかけ・更なる苦を加えてそこ楽が齎されます。
その楽に筋肉の弛緩(吐く)という楽が加えられると、更に楽になります。
しかし、その楽にも間もなく息苦しいという苦が齎されるのです。
苦を極めれば楽に転じ、楽を極めれば苦に転ずるというような、まあ道教の教えのようです。
ところで、心と体が一体のもので、本来の人の在り様がこの呼吸に表れているとしたら、全ての計らいを取り去って素に成った時に、よくよく見たら、その素が計らっていたのですね。
この辺りが私の知った(狭義の)禅の限界ですね。
人は一時何の計らいも無く、またその事さえも無い最低の何かであり大安楽あっても、やがては苦が現れ、計らうからこそ何かであれるのでしょう。
すなわち、大安楽は精々一息を吐く間ですね。
生きながらに最低の何かになりきって、大安楽を得ようなどという根性が、いけません。
また、最低の何かに成る過程に、省みない事が含まれているということは、俗人からすれば莫迦げた、まさに宗教です。
4:名無しの与一
09/12/23 09:09:59 poi0eD2X
ものの見事に荒れたな
5:名無しの与一
09/12/23 09:46:05 sID9FzFu
知や意や情がすっかり落ちた何かと、知や意や情をしっかりと統合した心の両方で垣間見た世界や自分が、少なくとも一方だけよりはありのままだと、思いますよ。
禅を能くする人が捉える宇宙や自分も真理でしょう。
また、科学や哲学や個我であって、それが虚偽か何かであろうが、それも真理です。
真理に、選り好みなどありません。
それが、あるがままです。
6:名無しの与一
09/12/23 09:49:48 sID9FzFu
俗人一般には、心とは概ね顕在意識のこと、と思います。
しかし、石女と人とを対比してみると、別な心のあり様も見えてきます。
つまり、人には石女に求め得ない命が有ります。
生命とそうでない物との決定的な差異は、情報システムの有無です。
こういった観点から考えれば、心とは遺伝子レベルからの広範な情報の作成や伝達や処理等の全体、と捉えなければなりません。
しかし、座禅をして、例えば呼吸という一事に成り尽くした時の心とは、先に記した顕在意識ではないのでしょうか。
人の体は約60兆個の細胞で出来ていると言われていますが、肺や各細胞でのガス交換、多種多様な筋肉の活動、体内の酸素や二酸化炭素等の量を測るセンサーの働きとその伝達、それらの調整機能と命令機能等、中々書き切れません。
さて、禅を良くする人が脱落底でこの呼吸自体に成り切ったとして、何に成り切ったのでしょうか。
心と身が一如なら、呼吸の全てが同時に十全として心に成るのでしょう。
しかし、そうは行きません。
また、一個の細胞の呼吸の働きに成りきっても、それを十全とする心にさえ成りきらないのです。
探索を捨て観切る前に、元になる大事なことは、しっかりと観て下さい。
私は、この顕在意識なるものが、心とは思っていません。
心と言われていた顕在意識は、認識自体です。
この認識自体は、呼吸をしませんし、思考もしません。
ですから、呼吸と心が一如になるとは、妄想です。
認識には一定の許容量があり、また志向性・快や苦の信号の大きいものから優先的に取り上げるという特性もあります。
だから、脱落底で余分な雑念を取り除いた分は、呼吸の様子がより明確になります。
しかし、呼吸の全体を同時に十全と捉えるには認識自体の許容量が小さすぎます。
また、特定な一個の細胞の呼吸を捉えるのは、その快や苦の信号が小さ過ぎるため現実的に認識には至りません。
7:名無しの与一
09/12/23 10:03:30 sID9FzFu
1.私たちの宇宙は、二つの異なる3ないし4次元(時)空間の混合によって生まれた。
2.この異なる二つの空間どうしは、重なり合って存在している。
3.この空間どうしには、時として連絡通路が開かれる。
4.ビッグ・バンのとき、複数の連絡通路が同時に開いて、一方の空間から他方の空間へと大量の異空間が流入し合った。
こういったものの一つが私たちの宇宙を形成したのではないのか、と思われる。
5.勿論、こちらの空間に流れ込んだ流量の合計と向こうの空間へ流れ出ていった空間の合計量とは、等しいのだろうが・・・。
6.私たちの電磁波が飛び交う空間Aを基にすれば、宇宙の外部は反空間Bということになる。
7.電磁波やエネルギーと言われるものは、反空間Bに流入した異空間A自体ではないだろうか。
8.原子の周りの電子は反空間Bであって、その中に異空間Aや超微細なAとBの飛沫の様なものが複雑に混合されたものが封じ込められているのではないのだろうか。
9。どうも空間には、異質な空間を封じ込めて、もと来た空間へと送り返そうという性質が感じられる。
そうした性質の現象として、引力が有るようにも思える。
10.エネルギーが保存されるのは、決して溶け合うことの無い空間どうしの特性だろう、と思われる。
11.マクロの世界では相対性理論が成立し、ミクロの世界では量子論が成立するのは、これら二つの空間の異質性に由来するのではなかろうか。
8:名無しの与一
09/12/23 10:23:58 poi0eD2X
もう落としたほうがいいんじゃないか
9:名無しの与一
09/12/23 12:36:14 EnPOcJ+D
スルーすればいいだけの話
10:名無しの与一
09/12/23 13:43:34 KhqpyseB
>7
今日も平常運転というか、休日でSL三重連特別運行ってとこですかねwww
しかし誰に対して何を訴えようとしているのか。
論旨が皆目分かりません。
心身脱落の話なのか、As-it-is-nessの話なのか、と思えば筋肉だの細胞だの・・・
あげくに宇宙だ、ミクロだのマクロだの・・・ 何なのこれ?
内面的な話を興しておきながら、それを深化するのかと思えばさっと外面的な話に転換。
私は宗教も物理もよく知りませんが、君は本当に分かって話しているのかね。虎の威を借りた野狐さん。
まさに阿波範士のなした悪弊を、君に見る思いだよ。
11:名無しの与一
09/12/23 16:28:52 sID9FzFu
>>10
まず、幸せというのがどういう事なのかを考えなければなりません。
個人に絞って言うのなら、快感を味わう事でしょう。
人には、先天的に快感が付与されています。
摂食の快感・排便の快感・性的な快感など、生存と種の保存のためですが、探してみるとたくさん有りますよ。
また、人が行動や思考を始める契機になるのが、快感を予感する快感です。
実際にケーキを食べるのも快感ですが、これからそうしようと想像する方が、意外と大きい快感を得られるものです。
それが、快感を予感する快感で、これも志向性として大きな役割を果たしています。
実は、地味に数学で計算問題を解く時にも、別冊の回答で丸付けをして、それなりの快感を感じているのです。
また、快感等を求めずしては、基本的には行動していないのが、人間なのです。
ただし、不快や不快を予感する不快に就いては、それを回避するために行動していますが・・・。
この不快等の回避でさえ、実は快感を予感する快感に置き換えて行動しているのです。
このように考えてくると、人は幸せで生きているとさえ言えるのです。
ちなみに、私の場合は呼吸法で即座に無心に成り、呼吸をする幸せを感じることが出来ます。
ただの考え方ではなく、実際にうっとりとした感覚に浸ることが出来ます。
お釈迦様のように全ては苦だと考えたり、自分に幾らでもある幸せを感じ取れないから、多くの人々は不幸なのでしょう。
そして、自分が幸せだと判れば、それを広げていきたいですよね。
12:名無しの与一
09/12/23 17:30:14 sID9FzFu
初めに、一心になるという言葉を説明します。
一心になるとは、一事に集中するということです。
会では、伸び続けるということですね。
しかし、その先も有ります。
私の経験では、一心が極を迎えるとき、一事に集中するという思いさえも消えうせて、無に至ることがあります。
わたしはこれを弓に当てはめた時、悟りの射として目標にしています。
さて、一心になる為の方法論ですが、私は呼吸法との関連性を考えています。
人類が言語を持ち始めたのは約12万年前だ、と言われています。
のどの奥に充分な空間が出来て後、呼気を微妙に調整できるように、横隔膜と胸腔の周りの筋肉を随意的に動かすことが出来る制御システムが脳内に出来上がったのだそうです。
その時期が12万年前ということです。
これらによって、呼気に複雑な言語をのせて、自由に話せるようになったのだそうです。
また、本格的な言語の出現以前にも、人類には非言語の感情があり、穏やかで比較的持続性のある気分や激しく一時的な情動や場合によっては原始的な情操というものも有ったのかもしれません。
13:名無しの与一
09/12/23 17:31:24 sID9FzFu
この言語と感情は、共に人間の情報処理システムとしての意味を待ってきましたが、更なる共通点として呼吸との深い関係性を持っているようです。
私たちが話をする時、或る感情が起こるとき、心に何らかの考えを浮かべるだけでも、呼吸に反映するようです。
もっと直接的に言えば、心に何かが起これば、胸腔を取り囲む筋肉が動きます。
そして、言語や感情と胸腔を取り囲む筋肉とは、可逆的な関係性を有しているように思われます。
つまり、『心に浮かぶ言語や感情が胸腔の周囲の筋肉を動かし』、『その筋肉の動きを止めてしまうと、思考や感情を止めてしまう』ことが出来るということです。
これは、私の内観的な経験論ですが・・・。
また、偶然にもこの二つの考え方は、或る命題とその対偶の関係に対応していますね。
或る命題が真ならば、その対偶もまた真となります。
さて、私は専門家ではありませんから詳しくは知りませんが、ヨーガや仙学・禅では呼吸法がその修行法に取り入れられ、自己の心(や体)をコントロールする為のものとされているようです。
勿論、弓道でも呼吸法は重要視されていますね。
そこで、会で一心になって伸び続け、[離すのではなく、離されるのでもなく]・・・教本に記載されていますが、・・・離れるには、・・・。
ここでひとつ、大事なチェックが有ります。
1.離すのではなく・・・馬手が弦を離すのではない・・・(能動的表現)
2.離されるのでもなく・・・弦が馬手に離されるのでもなく・・・(受動的表現)
上記の二つの意味は同一で、弦を離すのは馬手になっています。
基本的に教本では、馬手が弦を離してはいけないと主張しているのだと思います。
3.離れる・・・弦が馬手から離れる・・・(自発的表現)
4.離れる・・・馬手が弦から離れる・・・(自発的表現)
上記の二つの解釈では、離れる主体が3・弦と4・馬手とに別れて対立します。
どちらが正しいのかということですが、離れという刹那は、本来矢が放たれる契機です。
勿論矢は弦に番えられているのですから、3の解釈を支持するのが妥当だと考えられます。
14:名無しの与一
09/12/23 17:32:19 sID9FzFu
つまり、離れるとは弓の弾性変形による力によって、自然(自発的)に弦が弦枕から離れるということで、離れの主体が弓に有り、射手の行為は従属的なものであることを承知しなければならなくなります。
そこで、実際に離れるためには、会に至るまで暴発しないように右肘で内側に捻り、またゆがけの親指を押さえ込んできたのですが、そのゆがけの押さえ込む指の力だけを徐々に減少させていけば、弓の反発力で自然に離れを生じるでしょう。
この時、会に入った瞬間には、暴発を防ぐ二つの力が、それぞれに弓の離れようとする力より小さく、且つ二つの合力が弓の離れようとする力より大きいことが、重要です。
さて、ここで大切なのは、馬手・指の力を意図的に抜いて行くのか、無の境地に向かって行くうちに徐々に力が抜けていくのかの問題です。
前者の場合は、力を抜くという意図が気負いとなって他所に無駄な力がかかって伸びが止まり、ゆるみ離れとなります。
後者は、一心なる伸びの延長上に離れを生じます。
馬手について言えば、右肘で伸びるのですから指の力が減少することで、ゆるみには当たらないと考えます。
結局自分にあった心をコントロールする呼吸法を身に付けるということになりますね。
私としては理屈では判りかけてきたように思いますし、一度だけ経験も有るのですが、何しろ弓のことは弓と体を使って心に刻んでいく他は無いようですね。
15:名無しの与一
09/12/23 18:07:54 b9iDONin
自分の道場とはいえ蝋燭一本の灯で継矢した人と、巻藁に針金付けて悦に入ってる人がダブるとは・・
武徳会範士も草葉の陰で泣いておられよう。
16:名無しの与一
09/12/23 18:25:10 poi0eD2X
>>15
おれは線香と聞いた
17:名無しの与一
09/12/23 18:42:59 kiIFWUgB
>>ID:sID9FzFu
r;ァ'N;:::::::::::::,ィ/ >::::::::::ヽ
. 〃 ヽル1'´ ∠:::::::::::::::::i
i′ ___, - ,. = -一  ̄l:::::::::::::::l
. ! , -==、´r' l::::::/,ニ.ヽ
l _,, -‐''二ゝ l::::l f゙ヽ |、 ここはお前の日記帳じゃねえんだ
レー-- 、ヽヾニ-ァ,ニ;=、_ !:::l ) } ト
ヾ¨'7"ry、` ー゙='ニ,,,` }::ヽ(ノ チラシの裏にでも書いてろ
:ーゝヽ、 !´ " ̄ 'l,;;;;,,,.、 ,i:::::::ミ
::::::::::::::::ヽ.-‐ ト、 r'_{ __ `ニゝ、 ,,iリ::::::::ミ)
::::::::::::::::::::Vi/l:::V'´;ッ`ニ´ー-ッ-,、:::::`"::::::::::::::;゙ , な!
:::::::::::::::::::::::::N. ゙、::::ヾ,.`二ニ´∠,,.i::::::::::::::::::::///
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18:名無しの与一
09/12/23 19:10:15 EnPOcJ+D
いい歳した大人の今後を考えるとコピペであって欲しいな
19:名無しの与一
09/12/23 19:48:00 sID9FzFu
内容に就いてですが、二点ほど考えておくことが有りそうです。
一つ目は、会でのゆるみについてです。
物理的に引く矢の束が変わらなければ、ゆるんではいないのかなぁ、と考えています。
本来、離れを押さえ込む指の力は、弓を押し引きする力とは、別物と考えるからです。
右手では、手首の力がほぼ抜けていて、外見的には肘からゆがけまで弧を描いています。
弦枕が弦に引かれている状態ですが、親指が徐々にかた帽子を解くように動き、その後で放たれるのなら、物理的にもゆるみだと思います。
しかし、親指が少しずつずれることなく一気に離れるのなら、ゆるみではないと思われます。
二つ目は、無念無想ですが、一応二種類を考えています。
一つは、自分についても周囲についても充分な知覚があるにも拘らず、意識に雑念が入ってこない状態です。
もう一つは、自己と周囲の知覚がすぼめられて点になってしまうような状態です。
このとき、感じられる点ですが、密度が大きくなり、途方も無い質量で、超高温な塊のようなものです。
そして、その点が自分自身であるのです。
私が目指している離れは、後者の方です。
この時、自分の体も道具も、時間感覚さえ感じられません。
20:名無しの与一
09/12/23 20:41:22 sID9FzFu
自然で安定した立ち姿を保つためには、両足の裏の拇指球を中心にして左右均等に体重をかけるのが、経験上最良と思われます。
この場合、拇指球以外の足の接地面で、バランスをとることになります。
つまり、体重が最もかかる部分とそれを維持する部分とが意識的に区別されることで、
しっかり踏みつけられる安定した状態を保ち易くなるからです。
もう一つ、丹田呼吸と深く関わり大切なのは、背骨の使い方です。
人の体を右横から見たとき、背骨はS字の様に湾曲していますが、特に尾てい骨から上の部分、約20センチ位を反らせて、お尻が後ろ上方に向くようにし、背骨の湾曲に従いながらもその上に頭部がしっかりと載った姿勢が重要だと、思われます。
こうすることで、本来の背骨が姿勢を支える中心になり、余分な筋肉の強張りを取り除きます。
初めは大変かもしれませんが、慣れると声楽家やモデルのような姿勢になります。
練習法としては、壁に両踵とお尻と両肩と後頭部が付くように立ってみてください。
この時、ウエストの高さの部分と壁の間に、隙間が出来ます。
弓の場合は、この隙間が拳一つ分より小さめの方が良いと思われます。
21:名無しの与一
09/12/23 21:06:56 RSBFhvN3
本当に人様に読み聞かせる気があるんだろうか?
読み手に余計な努力をさせるってのは感心しないな
22:名無しの与一
09/12/23 21:21:57 Q8W5QEcC
縦を探してしまう
23:名無しの与一
09/12/23 23:04:03 b9iDONin
IDBANしてるから俺には実は見えてないんだ・・
みんなもIDBANしようぜ。どーせコテハンする勇気ないんだしさ
24:名無しの与一
09/12/23 23:27:18 YTsTv+W/
前スレ>>999
小控えで帽子は平たくて無駄に長くなくて溝は一文字気味の筋違いで控えから閉じたときに親指が中指の右側を通る軽いカケ
だいたいこんな感じ 燻しだったら尚更いいなぁ
25:名無しの与一
09/12/24 00:09:32 vmkisFnS
いろんなとこに諸ガケの特徴として的中に優れるってあるけどさ
これって何を根拠に言ってんの?
26:名無しの与一
09/12/24 00:36:29 lP4oG81F
>>25
俺はそういう記述は見たことないんだがむしろどこにあった?
諸がけが当たりやすいとかしらんぞ
27:名無しの与一
09/12/24 00:40:51 iZPUaMLq
>>25
ソースは?そんなこと聞いたことがない
諸もさしたことならあるが薬小指が盲腸 邪魔過ぎ切り落としてしまいたい
あくまでこれは下で手の内作る小指締めるタイプの視点だけど
28:名無しの与一
09/12/24 10:30:39 IbL+1HUJ
なんかめっちゃ長くて読む気になれんな
29:名無しの与一
09/12/24 11:26:40 iZPUaMLq
>>28
ホントね 何百回と競射で負かしてボロカスにでもしてやりゃちっとは変わ・・・らないか
彼は目に見える結果を出さないもんな そりゃ人と比べるなんて訳いかないよな
その機会すら拒否されその行為を卑下されようもんなら尚更
まぁいい趣味になってんじゃねぇの?俺には逃げの塊にしか見えないけど
30:名無しの与一
09/12/24 11:48:58 syyvmDXu
柔帽子は的中に優れる→諸ガケは柔帽子→諸ガケは的中に優れる
じゃないの。尤も出版物で柔帽子の方が的中良いと言ってるのはみん弓位だと記憶しているが・・他に何か知ってる?
31:名無しの与一
09/12/24 13:07:41 R2kx/1bM
諸がやわらか帽子?
32:名無しの与一
09/12/24 17:48:51 8Q9LfxZ/
無念無想の離れ、或いはそういった射は、悟りの契機を意味しているように思われます。
無念無想になり、弓もわが身も顕在的な意識さえ無くなり、宇宙と一体と成るというのが、いわゆる精神主義的な弓道の最たる捉え方のように、思われます。
ここで言う一体というのは、同一ではなく、その一部となって溶け合うという事でしょう。
さて、存在の全体を確実性の高い順に分けてみました。
1、”在るように在る”階層・・・唯一なる全体は、在るように在る存在自体である。
2、”成るように成る”階層・・・全体の内部にある部分は、他の部分との連関性に於いて、変化する存在である。
3、”為す”階層・・・意識とその意識を媒体するものは、意識自体と全体の内部に於ける他の部分との二重の連関性に於いて、変化する存在である。
つまり、宇宙も全体ではなく部分でしかない存在ですが、その内部の自然や人間も、物質と見たときには自然法則に支配されています。(成るように成る)
しかし、生物とりわけ人間は意思によって行動する存在ですね。(為す存在)
そうすると、不動の的に対して、射行は自然法則に従うと共に意思にも従うという二重の要因を持つ事で、的中に対する不確実性が生ずるという事なのです。
つまり、射手が意思を持たない自然物となり、的の28メートル手前から、自然法則に則って中るように矢を放てば、中るということですね。
これが、宇宙と一体と成るということでしょうか。
33:名無しの与一
09/12/24 17:50:35 8Q9LfxZ/
呼吸に就いて
頭頂部から丹田までには、3つのルートが有るようです。
これは、仙学(道教のひとつ)からの知恵と経験ですが・・・。
一つ目は、体の前(腹側)の表面近くを通って、二つを結ぶルートです。
これは、オペラで使われるベルカント唱法の息の通り道と同じようです。
もう一つは、背中側の表面近くを通るルートです。
最後のは、前述の二つのルートの中間辺りを通るルートです。
真っ直ぐに頭頂部と丹田が結ばれる感じです。
よく丹田に力を入れるという事を耳にしますが、大半は丹田そのものではなく、その前後のお腹や背側の表面ではないでしょうか。
丹田の位置は、下腹部の内部です。
そこを上から押すように力がかかるのが、正しいのではないでしょうか。
私の経験では、前面のルート、背面のルートが出来て、初めて中心のルートが開き、丹田を押す感じがつかめる様に思います。
勿論、丹田にしてもこれらのルートにしても仮想のもので、そのように意識される、といったものです。
これらの3つのルートが開かれるには、背筋を伸ばし頭も天に伸びるような姿勢が必要です。
この呼吸の考え方は、弓道でも使えるのですが、唯の呼吸としても、呼吸をするだけで精神は安定し、うっとりとした幸福感さえ感じられます。
また、その後は爽快感を味わくことが出来ます。
34:名無しの与一
09/12/24 17:51:16 8Q9LfxZ/
無念無想の離れを実現するために、呼吸法が必要かといわれれば、否と応えます。
実は、射法八節も特に重要ではありません。
私の趣味の一つにサイクリングがありますが、ママ・チャリで、峠の長い上り坂をフルスロットルで走る気力が有れば、それが必要条件です。
後は、一種の体質が必要かも知れません。
ただ、一射にこめる気概を、これで良いと思った時には、射は台無しになってしまいます。
たとえ、他者が見惚れる様な射でも、自分だけはその価値を知っているのですから。
弓道は、私の弓は16キロですが、それでも私を追い詰めるのに十分な弓力を持っています。
こんな平和な時代に、自分をぎりぎりまで追い詰める経験を持ち、そこを生き抜いていくのが弓道の醍醐味ですね。
そして、そんな射行の先に、また何時か出会える無念無想の離れが有るのだろう、と思われます。
35:名無しの与一
09/12/24 18:17:31 2uyfFmPJ
お願いしますから、別スレ立ててやってください。
36:名無しの与一
09/12/24 19:26:32 wfC8g8bD
>>31
(^つ^)一具がけ等といろいろごっちゃになってるんだと思うお
37:名無しの与一
09/12/24 19:52:41 G7E2KzWn
小離れって欠点ありますかね?
自分はシンメトリーといいますか大離れの方が美しく感じるので
極端な小離れは嫌いですけど
38:名無しの与一
09/12/24 20:05:50 8Q9LfxZ/
>37
呼吸によって、成果丹田に力が集中して、背面にある肩甲骨の間のある一点に支点のような感覚ができ、そこにも息の収まる感覚ができたとき、自然に大離れになりました。
まさしく、大の字です。
この大離れが出来たときは、左手から右肘までが弓になります。
本当の弓に対して、その弓を引くからだの弓は垂直になり、しかもからだの弓と弦を含む平面はほぼ水平を保っています。
弓を引くからだ自身(左手・左腕・左肩・背面の一点・右肩・右肘)が一本の弓になると、肩だの肘だの手首だのと力が偏らず、離れでからだの弓が自然に元の形に戻る勢いで、大離れになります。
その為には、背面の一点の感覚が大事だ、と思いました。
矢軸方向に伸びあうことを良しとすれば(つまりその方向に素直に矢が飛んでゆくことですが)、その為には会での右腕が、やはり円相をイメージして、その力加減を身に付けなければなりません。
右肘の所で、前腕と二の腕が折れている感覚になっていては、その他が正直になされても、矢は的の(時計で言えば)1時半の方向にずれて飛んでしまいます。
この理由は、中学生レベルの力の働きを考えると解ります。
そして、この結果右腕の肘は大きく開いて、大離れを誘発します。
39:名無しの与一
09/12/24 20:06:35 8Q9LfxZ/
続きです。
パワーバランスについて、書きます。
会のときに矢筋方向に伸びあうのであれば、左手と右肘にかかる力は、つり合います。
つり合うから、会の形が維持されるわけです。
しかし、その力を体で支える、直接的には両肩で支えると考えた時、左右の肩にかかる力、言い換えれば、その負担は異なります。
車を持ち上げるジャッキで説明します。
同じジャッキを2台(甲と乙)用意して、甲は力を加える棒の長さが乙の2倍とします。
もうお分かりでしょうが、甲の長い棒が会での左腕、乙の方は右の肩から肘に相当します。
さて、この2台のジャッキの棒の先端を持ち、Aという同じ大きさの力を加えます。
この時、乙から生じた持ち上げる力の大きさを、仮に1とします。
そうすると、甲は”てこの原理”で棒が2倍長いので、2の大きさの力が得られます。
つまり、甲は乙と同じAという力で、乙の場合の2倍の2の大きさの力を働かせています。
すなわち、てこの原理は可逆的ですから、ジャッキの持ち上げる力に於いて、甲が乙の2倍の力を働かせている時に、各々の手で持っている棒の先端にかかる力は等しいのです。
ゆえに、左手と右肘には同じ大きさの力が働いていても、それを直接的に支える左肩には右肩の2倍の力・負担がかかっている、ということになります。
これが私の、弓手と馬手、(3分の)2と(3分の)1の意味です。
40:名無しの与一
09/12/24 22:26:40 xOjxnvjf
>>30
はっきりと書いてあるわけではないが、現代弓道講座四巻 弓具施設編の
石岡先生担当のユガケの記述で、「使いやすいのはちょんがけを別として」と
あり、その前に素手が一番良い(手を傷めるけれども)とあるから、意味的には
和帽子が有利と仰っていると思う。
また、「弱弓に堅かけを使用することは害あって利なし」という記述もある。
&「三つかけ、四つかけとも習熟者が比較的長時間強弓を引く場合に使用されることが
通例となった」という記述もあり、現代でどれだけの人が、比較的長時間強弓を引いているのか?と
w
また通し矢をやらない津藩の雪荷派本系では、柔帽子三つかけの折り目かけが、
本式だと弓道講座の雪荷派射技編で述べられています。
41:名無しの与一
09/12/24 23:38:16 fgUUKhm5
>39
別に全否定するつもりもないけどさ、ここに書いて何がしたいの?
○道の極意っていうブログやってるのに、わざわざ出前出張しなくて
いいじゃん。
>40
雪荷・道雪って初期の通し矢で活躍したから、本系がやらなかった
とは知らなかった。勉強になったよ。でも、東京の○沼範士は
四つだったな。どこの流れの雪荷だったんだろう。
42:名無しの与一
09/12/25 02:50:34 KCt4kxF6
>>41
やっぱりそうなのかwだいぶ前から気づいてたw
ただのトレス文だったな。あれだけ言っていて肩透かしだな。
長いだけで全然荒れる要素もないからつまらねぇ。
>>40
そうだね。でも、俺は和帽子特有の折り目のタイムラグが嫌いなんだけどね。
小沼系の懸けは昔どおりで小離れになりやすい。
ただ、みん弓で和帽子を押しすぎたな。古参の人はちょんがけ、手袋くらいにしか考えてない。
まぁ、リアルにあれだけ荒らしたらアウトだな。わりいちょっと話がずれた。
43:名無しの与一
09/12/25 03:45:12 eQz+WZPL
>>31
>>36
>>40
失礼しました。諸がけというのは総称的なもので、必ずしも騎射用のカケを意味しないのですね。
5本指のある堅帽子の方が寧ろ諸がけと呼ばれているようですね。
44:名無しの与一
09/12/25 05:46:16 OwqmHsvK
>>41
本系は通し矢をやらなかったんだけれども、実は、なんかの理由で殿様に命令されて
やることになった。で、見込みのある弟子を訓練して和佐とかの記録を抜く事が間違い
ないくらいまでのレベルになった時、その殿様が死んでしまい沙汰止みになったという
記述もあったw
雪荷派は、一時一番栄えた流派なので色んな流れがあるんでしょうね。
45:名無しの与一
09/12/25 06:49:31 ohmLM8cH
さて、真理を表現するにあたり、先に留意すべき点を掲げ、そこから真理を表す命題の、成立に関わる条件を探ろう、と考える。
1、真理には、そもそもその命題が有意味である為に、対象となるものが必要である。
認識論的存在、現実論的存在など、存在そのものの根拠としては、この原初的な存在が一般に確定していないところが問題点である。
また、この原初的な存在は、かつて私にとっては両論の統合によって解決されたが、時代の検証を得て周知の概念とまでには、全然至っていない。
しかし、どのような立場で存在を論じるにせよ、存在を全体否定することが出来ないのは、確実である。
2、真理には完全なる普遍性が備わっていなければならない。
この普遍性から言えることは、真理が示そうとする対象は、すべてのものである、ということである。
また、示そうとする内容は、その対象の全体について言えることである。
3、真理には完全なる不変性が備わっていなければならない。
この不変性から言えることは、真理が示す内容が完全なる再現性を有する、ということである。
よって、限定的な再現性を有する理念を、真理は語ることが出来ないのである。
4、真理は、その命題の述部部分で、肯定的な判断を下せない。
真理の命題の主語がすべてのものである場合、そのすべての場合に於いて、その完全なる再現性を検証する手立てを持たないからである。
しかし、一方で無ければその結論が他方でしかない場合には、肯定をただひとつの反証によって否定し、その述部部分が否定的である表現を得ることができる。
5、真理の命題の主語について、自己言及的である場合は、階の問題が発生する。
この問題を避ける手立てとしては、たとえ形式的なメタ命題は存在しても、論理的で有意味なメタ命題を成立させないように、工夫しなければならない。
それが、唯一の解決の可能性である。
6、真理の命題の述部は、その主語について完全なる普遍性と不変性を表現しなければならない。
よって、その述部は真理の上位語を含み、体言ではなく用言的な表現形式をとる。
7、前述の1から6までの条件を満たすものは真理に値すると考えられるが、条件の4に当てはまらない肯定的な判断を下せる真理としての命題が存在する可能性は否定できないことを、留意しなければならない。
46:名無しの与一
09/12/25 16:50:03 ohmLM8cH
以上の7つの条件を満たすと考えられる命題を示す。・・・命題・『全体は、理念に於いて均質ではない。』
さて、この命題で使用する言葉を説明する。
全体・・・世界は認識に於いて限定的な表現である。
宇宙もその語の成り立ちを考えれば非限定的な語であるが、現在では限定的な意味を含むようになってきたようだ。
しかし、全体という語は、時間・空間に限らず、ありとあらゆるものを指し示している。
まさに、非限定的な語であって、限定的なものさえ含意しているのである。
私たちに、検証できる可能性の無い未知なるものをも含意するという特性により、この命題の主語と成り得るのである。
また、この命題では、全体という主語によって、その階の問題の解決を図っている。
全体はこの命題の総てのメタ命題をも含むという特性を持っている。
それ故、この命題に於いて論理的に有意味なメタ命題は存在しないのである。
それは、同時に全体という主語に含まれるこの命題のすべてのメタ命題が、論理的に示唆する意味を持たない形式だけのものであることを示している。
つまり、この命題にそのメタ命題が矛盾を指し示すことはないのである。
よって、階の問題は全体という概念の特性によって、回避されたのである。
更に、この命題の主語としての全体は、その指し示す要素を、それ自身のただ一つしか持たないという特性を持っている。
このことは、命題の真理性を問う時に、それを単純な作業にしている、と考えられる。
理念・・・真理は理念の一であり、他の理念・・・法則・公理・原理・定理・法規・規則・約束・慣習・道徳・信条・良心・二度あることは三度あるという思い込み等と共に、再現性の確かさをそれぞれに表現していると思われる。
つまり、知識や言語、そして情報と言われるもの自体が理念ではないのか、と私は考えている。
情報は、過去と現在を基にして、未来の予見の為に存在しているように、私には思えるからである。
そして、このことが人類の生存と繁栄に寄与してきたようにも、思えるのである。
このように理念を捉えれば、真理はそうした理念の頂点に位置するものであり、理念を上位語としている。
均質・・・〔或る理念が再現性を有する範囲は、その理念に於いて均質である。〕、と定義する。
言い換えれば、均質とは、「或る理念の再現性が確保されている状態」を言う。
つまり、この命題の述部部分は、「均質」が「ではない」を伴い、否定的であり、且つ用言的な表現である。
次に、内容について検証してみます。・・・真理・[全体は、理念に於いて均質ではない。]
初めに、命題・「全体は、理念に於いて均質である。」を、真と仮定してみましょう。
私たちが認識する世界や宇宙、そしてその宇宙の近接的な外部も、全体に含まれています。
そして、世界や宇宙には、光などの電磁波が存在しています。
光は光速で進行する間、時間が停止し、光自体は何の変化もしません。
つまり、仏教で言うところの諸行は存在していますが、この場合無常は成り立ちません。
ところが、光は何かに衝突すると光速ではなくなり、変化を起こします。
この場合、因縁生起の法則は成り立っている、と考えられます。
この諸行無常は、諸行の存在と無常の様態との二つからなるものですが、この理念は私たちの世界・宇宙では、一つの反証で否定されました。
47:名無しの与一
09/12/25 16:53:48 ohmLM8cH
ところが、時間については拘らない因縁生起の法則、まさにひとつの理念ですが、これは成り立ち、「私たちの世界や宇宙は、因縁生起の法則に於いて均質である。」と言える事になります。
ところが、ビッグ・バンの元となる特意点周辺や現宇宙が膨張する先には、その膨張を許容する余地が有ります。
しかし、そこにはエネルギーも物質も無いので、時間さえ有りません。
つまり、そこでは諸行が存在しないので時間が有りません。
そして、無常という現象も起こらず、因縁生起の法則さえ否定されるのです。
このように、因縁生起の法則という理念に於いて、世界や宇宙とその外部とが均質であると言えない反証が見つかりました。
また、この命題は、均質か均質でないかの何れかしか結論付けられないので、その結果として仮定は否定され、
「全体は、理念に於いて均質ではない。」が真であると断定されます。
この他にも多くの検証を行いましたが、その他にもまだまだ多くの検証は残されている、と思います。
ここでは、上記の検証に留めておきますが、今後この真理を否定することがあれば、それは私にとって更なる成長の段階に入るもの、と考えております。
つまるところは、“終わりなき分析“ということでしょうか。
48:名無しの与一
09/12/25 16:55:35 ohmLM8cH
<存在に於ける階層性>
存在とは紛れもなく有である。
しかし、その有にも普遍性及び確実性に於いて、差が認められる。
存在の全体は存在自体であるから、絶対的な普遍性と確実性とを有する。
つまり、存在の全体が存在自体であり、絶対真理である。
また、存在の全体の内部にある部分は、他の部分との連関性によって変化するが、それは全体の存在自体に由来し又部分という限定に基づく普遍性と確実性を有している。
また、意識とその意識を媒体するものは、意識とその存在の一致に於いて不確実性を示すが、意識とその存在の総体に於いては部分と同等の普遍性と確実性を有している。
なぜなら、意識とその意識を媒体するものも、存在の全体の内部に在る部分であるからである。
つまり、意識とその意識を媒体するものには、限定的な普遍性と不確実性とが共存しているのである。
それが人間の共通性である。
また、限定された普遍性という共通性に伴って、不確実性という相違を個々に有している。
まさに、差の概念に集約されるのである。
更に、意識的なもの、超自然的で非感覚的なもの等が、考えられる。
また、存在の内には実体と属性の両者が考慮されるべきであるが、ここでは実体に集約して論を進める。
そこで、存在性の高い順に、次の基本的3階層を措定する。
1、”在るように在る”階層・・・唯一なる存在の全体は、在るように在る存在自体である。
2、”成るように成る”階層・・・存在の全体の内部にある部分は、他の部分との連関性に於いて、変化する存在である。
3、”為すように為す”階層・・・意識とその意識を媒体するものは、意識自体と存在の全体の内部に於ける他の部分との二重の連関性に於いて、変化する存在である。
<存在に於ける公理と定理>
このような存在の階層性から、次の公理を示す。
【公理】普遍性及び確実性のより高いものほど、存在性が高い。
また、部分はその内部に、普遍性と確実性に於いての同一性を有している。
よって、その同一性に破れが生ずれば、部分は新たな部分を生む。
故に、存在性に差が在れば、その部分は単一な存在ではないのである。
すなわち、存在性に差が在れば、同一性は否定され、境界を有する複数の部分としての存在なのである。
このようにして、先の公理から、次の定理を導き出した。
[定理]存在性による差は、同一性を否定し境界を形成する。
49:名無しの与一
09/12/25 17:39:33 BdsNBjDd
これどこのコピペ?
50:名無しの与一
09/12/25 18:37:07 ohmLM8cH
<意識の構造性>
さて、ここでは感性的主体に於ける認識という端的な過程を通じて、意識の構造性を考えてみよう。
原初に於いて、”表象”が存在する。
この表象とは、共通性に伴う相違の展開であり、時間的推移を伴う差である。
その表象の把握が感性的認識であり、事実として認識は存在する。
このように認識には、時間的推移を伴って、連続性のある差を把握するという性質がある。
また、それは事実として自同的主体としても意識される。
さて、この表象と認識とは、分離できないもの、つまり同一性を有しているのであろうか。
もし、表象と認識とが同一性を有していれば、等時的に表象自体が十全とした認識であり、等時的に認識自体が十全とした表象なのである。
このように表象と認識が同一性を有していれば、他の介在を必要としないのである。
ところが、この表象と認識の他に、事実として”思考”が存在する。
また、この表象と等時的に認識が存在しているのでもない。
むしろ思考によって、この表象は認識に至るのである。
よって、この表象と認識は同一性を有していない、と考えられるのである。
この場合、思考とは、表象に於いてその共通性に伴う相違を対比する作業に対応している。
また、思考は、その一部が自同的主体として認識される場合もある。
更に、不確実性を低減させようとする働き(理性)を有していると考えられる。
よって、感性的主体としての認識には、次の3要件が必要である。
1、・・・時間的な連続性のある差の展開(知覚表象)
2、・・・1に於いて、その共通性に伴う相違を対比する作業(思考)
3、・・・2による結果としての自同的主体としての顕在的な意識(認識)
今までの内容を、少し整理してみよう。
1、・・・表象・思考・認識は、事実として存在する。
2、・・・表象は”認識されるもの”である。
3、・・・思考は第1義的に”認識するもの”であり、自同的主体である。
4、・・・認識は”認識自体”であって、自同的主体としての顕在的な意識である。
このように観てくると端的ではあるが、意識には3つの構造性が認められる。
つまり、(知覚)表象、思考、認識である。
注視すべき点は、自同的主体は思考に在り、その顕在的な意識の表れが認識に在る、ということである。
つまり、自同的主体の言わば本体が思考に在るにもかかわらず、自同的主体の意識の表れは認識にあるのである。
(知覚)表象は、自同的主体(思考)にとっては客体であり、認識によって客体として顕在化される。
また、一般的な思考の際は、思考自体が表象を生み出す為(記憶表象や想像表象等を提示する為)、認識にとっては思考自体が客体として顕在化されるのである。
51:名無しの与一
09/12/25 18:37:56 ohmLM8cH
<感性的認識と思考が生み出す表象の認識との比較>
さて、ここからは感性的認識と思考が生み出す表象の認識との関係について、考えてみよう。
今、私は目を閉じる。
すると、今まであった視界は消え去る。
しかし、手を伸ばすと机の感触は在る。
また、PCの起動している雑音らしきものは、変わらずに聞こえる。
前に、置いてあった灰皿から、タバコの香りがする。
このように、一つの知覚による感性的認識を遮っても、他の複数の知覚による感性的認識は、自同的主体の時間的及び空間的な環境として保存され、整合性を持ち得ている。
このことが、知覚による感性的認識の特徴である。
次に、睡眠中の夢についてである。
睡眠中は目を閉じているから、視覚による感性的認識は遮断されているのである。
しかし、睡眠中に時として夢は現れ、視覚の他に複数の知覚を伴う感性的認識と同様な現象を生ずる。
ところが、夢から覚醒した時、夢の中での体験と環境とが痕跡を残さないことに気付くのである。
この時、自同的主体は、再び感性的認識によって知っていた時間的及び空間的な環境へと呼び戻されるのである。
また、空想に於いても、同様なことが言えるのである。
このように、夢や空想の体験で認識されるものは、感性的認識の場合とは異なり、思考自体がその作業の過程で生み出した表象(記憶表象や想像表象等と言われるもの)であろうと、考えられる。
さて、ここで重要なのは、知覚表象による感性的認識と思考によって生み出された表象(記憶表象・想像表象等)の認識との比較である。
勿論、自同的主体によって為されるのだが、前者は時間的・空間的な環境の認識に於いて整合性がとれているのである。
また、後者は同様の観点に於いて整合性がとれているとは甚だ言い難いのである。
つまり、この両者には、事実として普遍性と確実性に於いて差が存在している。
52:名無しの与一
09/12/25 18:39:07 ohmLM8cH
<存在の措定>
先に私は、存在に於ける階層性を示し公理と定理を措定した。
そして、意識の外部にある主体と客体、更にはそれを規定する公理と定理をも含むすべてが、意識に回収されてしまうのであろうか。
もし、回収されるとすれば、私が措定した公理と定理は意識全体の規定であって、意識はこの規定に基づいているのである。
よって、意識の内部は、これなる規定に従うのである。
そこで、知覚表象による感性的認識と自同的主体である思考作業が生み出した表象の認識に於ける両者の普遍性と確実性による存在性の差より、先の定理を適用させると、この両者の同一性は否定され、両者間には境界が存在するのである。
しかも、より存在性の高いのは、知覚表象による感性的認識の方であり、自同的主体である思考作業が生み出した表象の認識の方が存在性が低いのである。
この結果は、意識が同一性を有する存在である、ということに矛盾するのである。
よって、全体が意識に回収されるということは、否定されるのである。
さて、ここで感性的認識と思考作業の生み出した表象の認識に於ける差の本質を考えてみよう。
意識の顕在化という認識に於いては、共通である。
認識するに至るという作業に於いても思考が行い、共通である。
つまり、この両者に於ける差の本質は、知覚表象と思考作業が生み出した表象(認識の対象となる素材)の相違である。
故に、知覚表象は、自同的主体である思考との同一性は否定され、尚且つより存在性の高い存在でもある。
このことにより、感性的認識が呈する主体と客体とは、自同的主体が生み出したものではないのである。
しかも、その主体と客体は、自同的主体よりも存在性が高いのである。
このことは、知覚表象が意識の外部から意識にもたらされた写像であって、意識の外部にはその写像の基となる主体と客体が存在するという現実論的存在と認識論的存在との同値を示すである。
よって、〔主体と客体は存在し、意識の外部に定位する。〕と、措定するのである。
53:名無しの与一
09/12/25 18:40:43 ohmLM8cH
【人間についての理解】
<嗅覚からの推理>
・・・黒百合って、酷(ひど)い匂いなのを、知っていますか。
「黒百合は、恋の花」なんて歌詞があるのですが、香りはいけませんね。
でも、お花の多くの種類は、とてもいい香りが致します。
香りは、化学物質の刺激ですが、それを快感と受け止めるのは、人間の脳にそう受け留める構造が在り、その機能としてそう感じているのでしょう。
つまり、お花の香りといい匂いという感覚は、まづは別物なのです。
ところが、進化の過程で、お花の香りを快感と受け止める構造が、大脳の中に造られたのですね。
人類に至る生物としての歴史は、40億年にも及ぶと言われております。
私の推測では、人類の祖先が哺乳類の小動物で森の中で暮らしていた頃、食糧難の時には、お花かその蜜を食していたのではないでしょうか。
そんな花と出会う為には、お花の香りが快感に受け止められることが、役立ったに違いありません。
<微笑みの謎>
・・・モナリザのことでは、ありません。
私たちが、花の香を嗅ぐ時のことです。
香りを一杯に嗅ぐ為には、口を閉じて、鼻腔を大きく開けます。
その為には、口角を上へ持ち上げる表情になります。
私は、これを微笑みの原点、と考えております。
<微笑みは、快感の予感>
・・・人類の祖先たちにとっても、お花の香りでは、空腹は癒せません。
実際にお花やその蜜を食してこそ、多少なりとも食事の快感を得られたはずです。
でも、ほんとうにそうなのでしょうか。
香りという快感は、お花やその蜜を食すという味覚の快感を予感させます。
つまり、快感の予感は、快感をともなって”微笑”という表情と結び付いている、と言えそうです。
<一目惚れの構造>
・・・前述の香りのお話は、生命の維持に必要な摂食との関わりを持っておりました。
一方、一目惚れの方は、種の保存と関わっている、と考えられます。
私の推論では、どのような異性(同性)に一目惚れをするかは、主に後天的な条件によるもの、と思われます。
それでは、先天的な部分は、どのように関わっているのでしょうか。
このヒントは、前述のお花の香りの話に在る、と思います。
つまり、種の保存というプロセスには、付与されている性的快感が在り、それを(潜在的に)予感すること自体が快感であるように、大脳にはプログラミングされているのではないでしょうか。
54:名無しの与一
09/12/25 18:42:05 ohmLM8cH
<快感を予感する快感の程度>
・・・実際にお花やその蜜を食すとか異性(同性)との関係で機械的な性的刺激を受けるなどの快感は、基本的には刺激量の対数に比例して一定のレベルを示します。
でも、それを(潜在的に)予感する快感というのは、大脳内で恣意的に刺激量が定まるように思われます。
つまり、一般の刺激と知覚の関係ではなく、先天的なものをベースとしつつ、後天的に造られた興奮のレベル設定という脳内の情報処理システムによる、と考えられます。
平たく言えば、思い入れの大きい人は、実際に受けるであろう刺激による快感のレベルよりも、遥かに大きい”快感の予感という快感”を、味わうことになるのでしょう。
特に一目惚れの場合は、人間に深く根ざした種の保存との関係から、その快感の設定は非常に高いことが推測されます。
<人間の志向性>
・・・胎児においては、妊娠28~30週位の時期に大脳皮質がほぼ完成される、と言われております。
また、この時期を過ぎると、胎児は苦痛を感じるのだそうです。
さて、このように大脳皮質が発達した人類は、外部からの刺激を機械的に知覚するだけではなく、これまでにお話してきたように、快感の予感にさえ快感を覚えるようです。
私は、この”快感の予感という快感”を、人間の(正の)志向性と捉えております。
つまり、この快感が、人間の随意的な行動(思惟)の契機であろうと捉えております。
<志向性の拡張>
・・・生まれたばかりの人の赤ちゃんは、ごく限られた志向性しか持っていないように思われます。
お乳を飲むとかの生命維持に繋がる先天的な志向性だけのようです。
そして、種の保存に繋がる志向性は、先天的ではあっても、第二次性徴期に伴って発現されるのでしょう。
それでは、他の志向性はどのようにして、生み出されるのでしょうか。
私の推論では、先天的に持っている原初的な志向性による経験に伴う経験を通じて、快感を得られた行動(思惟)が、脳内に新たな志向性の構造を構築するもの、と思われます。
その新たな志向性が、同様に更なる新たな志向性を生み出す。
このようにして、行動の契機となる志向性が、拡張していくように思われます。
<志向性に於ける感度設定>
・・・私の味覚を通じての研究によれば、志向性には、先天的に快感を伴うもの(正の志向性)や先天的に不快感を伴うもの(負の志向性)があります。
正の志向性の例としては、適度な甘味や塩味や旨味の味覚が挙げられますし、負の志向性には酸味や苦味の味覚が該当します。
しかし、このような原初的な快感・不快感は、人の環境への適応に、かなり合目的な変化を示します。
例えば、塩味は生理的な恒常性を保つ為に大切なミネラルですので、日常的な摂取が必要です。
そういった理由で、食物中の塩分濃度は、食後の経過時間と強い相関性(比例)をもって、志向性(嗜好性)が決定されます。
つまり、空腹の度合いが高いほど、高い塩分濃度が美味しく感じられるように、味覚の感度設定がなされているのです。
又、酸味については、原初的に不快感の感度設定がなされていたにもかかわらず、その後酸味やアルコールを摂取する食習慣等の頻度と深い相関関係(比例)を示し、志向性(嗜好性)の正の方向に感度設定が移行することが確認されております。
このことは、食料としての甘い果実が不足した時期に於いて、甘酸っぱい果実を食すことで、飢餓の回避に大いに役立った、と思われます。
丁度このことは、原初的な甘味という志向性に伴って、新たな酸味という志向性が生み出された例とも言えましょう。
55:名無しの与一
09/12/25 18:43:15 ohmLM8cH
<志向性の変化の一般化>
・・・このように、私たちは成長に伴って、多くの志向性を得ることになります。
その多くは、初めから快感を伴うもの、と思われがちです。
しかし、実際には、正の志向性による経験と、同時に経験される不快感を伴う習慣性が、いつの間にか正の志向性の方に感度設定が変更されている場合が、少なくないのです。
人の習慣的な経験には、環境への適応という意味に於いて、基本的に肯定的な評価が与えられるようです。
ですから、嫌いなことでも続けていれば、やがてはそのことに”悪くは無いか”とか、更には”意外と良いかもしれない”等という・・・”快感を予感する快感”・・・正の志向性が生まれてくるのですね。
<随意的行動原理>
・・・前にもお話し致しましたように、現在の人類に至るには40億年にも及ぶ生物としての歴史があります。
そして、この事実が指し示すものは、「今人間と呼ばれる生物は、種の保存を目的としつつ、進化を遂げてきたのである。」と、判断できるのではないでしょうか。
ここで言う目的は先天的由来のものと考えると、DNAという構造に書き込まれた指令によって構築された構造の、本能と呼ばれる機能である、と考えられます。
そして、この本能と密接に関係し、必要条件となるのが生命の維持です。
この種の保存と生命の維持を実現する為の手段として、快感、或いは不快感が付与されました。
”この快感を(潜在的に)予感する快感”が正の志向性であり、積極的な行動(思考)の契機となります。
また、この”不快感を(潜在的に)予感する不快感”が負の志向性であって、回避的な行動(思考)の契機となります。
基本的には、正の志向性によってなされる経験に伴う経験によって、正の志向性及び負の志向性が拡張されます。
また、基本的には、本能的な志向性に伴う快感の方が、拡張された志向性のものより、興奮のレベルが高い、と考えられます。
その理由としては、本能的なものに付与された快感が、種の保存と生命の維持に大きな役割を果たしているからでしょう。
ところが、”快感を(潜在的に)予感する快感”は、物理的および生理的刺激量に機械的に感応する知覚ではなく、恣意的な脳内による感度設定が設けられるため、時として本能による志向性を凌駕することが生じます。
この現象は、大脳が発達したことによって起きた、本能による人間の行動コントロールを、逸脱するもの、と言えるでしょう。
56:名無しの与一
09/12/25 18:44:17 ohmLM8cH
<記憶と刺激>
生物の歴史は40億年、人類のそれは700万年、言語の獲得は12万年前と言われております。
人類が非言語であった長い歴史に於いては、遭遇する様々な現象は快感か不快感を伴い、同時にその強度も伴って記憶されていたようです。
新たな事態に出会うとき、人はその類似の記憶を再構成しますが、その優先順位は刺激の強度が高い順になっているようです。
人類が言語を獲得してからは、言語による思考が行われ、思考によって未来の予想さえ行います。
非言語のときと比較すれば、その予想内容は豊富でより緻密になっているでしょう。
しかし、この場合でも、随意的行動を決定する志向性は、快感と不快感の強度です。
つまり、人類の大脳皮質はその歴史性によって、感情と理性の二重構造になっているということですね。
言い換えれば、どのような記憶にも快感か不快感かの刺激が共存しているということです。
<カテゴリーの超越>
人が、カテゴリーの異なるものを選択できるのは、何故でしょう。
「このハンカチとこのリンゴと、どちらを選びますか。」
「あの星とこのお花では、どちらが美しいと思いますか。」
これらの質問に答えることが出来るのは、すべてのカテゴリーを、快感と不快感という感情の刺激に変換してしまうからですね。
また、人が単に理性的であれば、設問があって、その情報処理を一度始めれば答えが出るまで演算を中止しません。
まるでコンピュータのようにです。
場合によっては、無限のループに嵌まり込んで、死んでしまいます。
ところが、途中で諦めたりして演算を中止できるのは、人間が単に理性的な生き物ではないからです。
このように、人が充分に理性的でないことは、歓迎すべきことだ、と考えられます。 完
57:名無しの与一
09/12/25 19:22:36 gTdVbHKG
お前も、完
58:名無しの与一
09/12/25 19:36:25 MwQ1M8rD
通報
59:名無しの与一
09/12/25 20:04:20 4T8zNXOp
修行日記も極意もおもしろくない。
60:名無しの与一
09/12/26 03:05:33 ZxK68Yb1
>>37
誰か普通の回答していただけませんか?
61:名無しの与一
09/12/26 09:00:56 gfLize+H
>>60
自分の考えをもっと詳しく書かけば色んな人がレスしやすい
俺は中離れの外見が好き
離れの大きさは控えの堅さと弓力の比、手首を使うか、引き尺がどの程度か、どのくらい捻るかによって変わると思うので、小離れの短所は上に書き並べたことの短所を考えればいいと思う
62:名無しの与一
09/12/26 09:49:41 22GV5sWa
>>60
もし所属してる学校が小離れでも中たってさえいれば、何も言わないのであれば、そのまま続けて問題ないのではないだろうか。
中たりがまず優先だろうから。
今は大離れが流行ってるが昔は小離れが主流だった。
自分としては、何離れだろうと中たればいいと思う。
63:名無しの与一
09/12/26 13:03:09 Hg7/DYng
自分の周りには大離れの人は四つがけの人が多いのだけど関係あるのだろうか?
捻らない射の方が大離れしやすいような気がする。
そもそもなぜ大離れが薦められているか自分はよく知らんので、もし知ってる
人がいれば書いて欲しい。
64:名無しの与一
09/12/26 16:04:58 22GV5sWa
大離れが薦められているのは、とある範士の先生が大離れの射で全日本3回優勝する事でまねる人が増え、流行したという話もあるが、真相は分からない。
要は、日弓連の上の方がこれがいいと言えばそうなってしまう世界なだけ。
自分がいいように引けばいい。いちいちじじいどもには付き合ってられない。
65:名無しの与一
09/12/26 17:45:53 LarlTbkr
強めの弓に切り替えたときに中離れで肘壊しかけたけど
大離れに切り替えたら大丈夫になった
66:名無しの与一
09/12/26 18:20:49 Hg7/DYng
>>64
それってO範士の事だよね。
その話は聞いた事はあるけど結局は流行りと廃れって事で片付いてしまうのかな。
しかし、道場の先生に大離れにしなさいと四六時中言われる。
大離れの利点とかよさがわかれば今の離れから変えようと思うのだが、
いまいちそこの説明があやふやで困っている。
67:名無しの与一
09/12/26 18:31:09 22GV5sWa
>>66
大離れは、胸の中心とか体に基点を置いて両方均等に両腕、両肩、を全てバッと開くだけなので、最初から習熟するんだったら、大離れの方が圧倒的に簡単で、緊張した場でも的中は出せるようになると思う。
ただ、小離れ等で的中を掴んだ人が大離れに変更するのは、極めて苦労を伴う。
最初に体の開きというのを学習していないため、本当に覚えるには、一旦反射を消して、徒手からやり直すしかないと思う。
68:名無しの与一
09/12/27 01:47:49 tMnYbSm3
(^つ^)小離れが手先の射だと思っているならとんでもない大間違いだお
(^つ^)初心者が大離れを曲解すると、それこそ手先の射の練習になって上達しないんだお
(^つ^)あほ指導者が「大きく開け」の一点張りだと、教わる方は残心を作るようになるんだお
(^つ^)学生たたきじゃないけれど、妙にガチガチな小離れを見ると、それが正しいのか疑問に思うお
(^つ^)爺様方の小離れは、射の結果小離れになってるのであって、小離れのために小離れにしているのではないお
(^つ^)だから大離れのために大離れにするのは反対だお
(^つ^)>>66はその先生に酒でも飲ませて腹を割って話をするべき
69:名無しの与一
09/12/27 02:09:12 2Lr8DUKt
またきたよ…現実で辛いことでもあったのかな?
70:名無しの与一
09/12/27 06:47:11 At7VwhxS
言っておきますが、教本には当たり障りの無い程度のことしか書いていないと思っています。
弓道の深さからしたら、幼児用の水深30センチプールのようなものです。
その先を切り開いていかなければ、話になりませんね。
弓道教本が30センチプールならかっチャンは、そのプールの中に居る大腸菌以下だな。
71:名無しの与一
09/12/27 09:12:10 B4CsvbZG
かっチャンは自分のフォームをネットにうpしたら評価してもらえるのにね
今の状態ではただの失礼な口だけ野郎だからなー
まずお前からうpしろというのなら俺のはもう上げられてるけろ
ここまで大きな事言っておきながら断る理由はないんじゃない?
72:名無しの与一
09/12/27 09:39:06 tMnYbSm3
>>69
(^つ^)ひどいお、今回はまともなことしか喋ってないお
(^つ^)謝罪と賠償とウェブマネーよこせお
73:名無しの与一
09/12/27 12:13:42 At7VwhxS
>>72
お前は「うんこちんちん」だろ。
74:名無しの与一
09/12/27 12:44:42 etqIvC6L
>64, 66
それ、いつ頃の話ですか? 大離れの流行って、戦後ずっとだと思ってた。
>44
雪荷・道雪って射の外見上はどんな特徴があるんでしょう?
印西・竹林は人数も多く、射が頭に浮かぶのだけれど…
昔、射楽齋II先生が『持満』『發』という言葉を使って、
「流派の最も大きな違いは離れの出し方」って言ってたな。
75:名無しの与一
09/12/27 18:28:40 Ai5mBOQz
親指の付け根に矢が擦れて痛いんだけど手の内が間違ってるのかな?
76:名無しの与一
09/12/27 18:48:19 S7rC2dHV
>>74
流行というかジャンル?として確立させられたのが岡崎範士という認識なのだけど。
堂射系の射を近的に取り入れられたのは凄い事だと思います。
自分の師匠は別に今の離れでいいとおっしゃってるんだが、いかんせん周りの人が…
これはもう流派弓道にはしる事にしようかな。
77:名無しの与一
09/12/27 18:50:34 At7VwhxS
>>75
とりあえず矢を番える位置を高くして、押してガケをして様子を見るのがいいよ。
時が経てば治る事多い。
78:名無しの与一
09/12/27 21:18:06 tMnYbSm3
>>74
(^つ^)つ URLリンク(ecoecoman.com)
(^つ^)ページ内を「何とかならんか」で検索するとその話が出てくるお
(^つ^)岡崎範士の談話でも同じ話が出てくるからガセ情報ではないお
79:名無しの与一
09/12/27 23:06:31 Ai5mBOQz
>>77
ありがとうございます
80:名無しの与一
09/12/28 08:00:35 Wbp5uWzK
(^つ^)この顔文字使いはじめてから不幸なことばかりおこるお
(^つ^)テングさんの呪いかお?
(^つ^)というわけでこのAA使うのやめるお、これでNG登録してる人ごめんお
81:44
09/12/28 12:32:37 fmZ3TsJa
>>74
道雪 雪荷、どうなんでしょうね?現代弓道講座に道雪派の先生があったり、教本にも坂本茂先生の
射影がありますね。でも、例えば、印西でも遠州系と備前系は相当違ったりするし、さらに印西の浦上栄先生
からの系統でも各地で違っちゃったりするし。。
射楽斎Ⅱ先生のスレッドは
URLリンク(ecoecoman.com)
ですね。
個人的には、ちょっと賛同できないんですが、よくわかりません。
「発」って割と使う人が多いけど、出典はなんなんでしょうね?
82:かっチャン
09/12/28 13:50:53 XkKTqML1
「意味が分かりません。」・・・ここでの私の書き込みは、自然な離れに関連するもので、一般の射手には理解できない部分です。
貴方も自然な離れを体現していないようですから、分からなくて当然です。
更に修練を積んで、意味が分かるようになるか、私と異なる結論を得るか、・・・これ以上は自分で見極めることです。
「会の深浅について、・・・外見上のことではありません。」・・・困りましたね。本に書いてなければ、無いのですか。
気と力とからだなど、これらの働きが相まって会が在るんです。
気と力は会相に現れますし、会相は気と力を現しもします。
言っておきますが、教本には当たり障りの無い程度のことしか書いていないと思っています。
弓道の深さからしたら、幼児用の水深30センチプールのようなものです。
その先を切り開いていかなければ、話になりませんね。
83:名無しの与一
09/12/28 15:17:09 QK4dk+UM
かっチャンの言いたいことを翻訳すると教本に書いてあることはあくまで標準的な理であり(凄い変な言葉だな)また各人の理でありそれだけでは足りない、もしくはそれだけでは己の理にはならないと言いたいんじゃないのかな?
生意気言ってごめんね、それなら理解できるんだけど どうですか本人?
84:名無しの与一
09/12/28 16:40:11 Y8jpgE4j
>82
意味が分からないというのは、いかに体に弓を割りいれようとも、「引かぬ矢束」ではなく、あくまでも「引く矢束」では引き離れに過ぎないと思うからです。
初心者なら分かりますが。。。
狙いについても、的を見ないというのは分かりますが、体の感覚で狙って的付けをしないということも分かりませんね。
それで的中が上がるとは思えません。
近的ならともかく、遠的もそれで中るのですか?
一番良いのは、的付けをしてから後は的を注視せずに伸び合うというのだと思います。
教本第1巻は大雑把な書き方ですので、細かいことは書いてありませんが、引き合いに出した第4巻は6人の範士が読み手に分かりやすく教えを記したものです。
もちろんそこから更に自分なりに積み上げが必要ですが、幼児用プールは大変僭越ではないですか?
尤も範士十段の先生のお言葉なら納得ですが。
あと、高校生の立てたスレですので、見当違いのレスはいかがなものかとも思います。
85:名無しの与一
09/12/28 22:53:17 gZq7EFSl
>76
大射道教系の人はずっと大離れで、戦後の日弓連の一角を占めてきたと
思う。岡崎範士より前から唐沢範士だって、大離れだし。
無争がけの説明を読むと、むしろ岡崎範士は当時の大離れからすれば異端。
馬手肘固定で前腕を飛ばすのを「何とかならんか。」と言われたのでは?
大離れの中味を区別して話さないと…
86:名無しの与一
09/12/29 22:54:59 VHr9Hc/Z
>>85
阿波範士自身は大離れではないだろう
大射道教系列で見るなら、安沢範士がそれに当たるんじゃないのか?
阿波範士と同年代で見るなら、大離れを推奨していたのは大尖光の大平範士にならないか?
「何とかならんか」は「離れ(残心)の大きさ」だって話で一般的に通ってると思うけどなぁ
全然関係ないけど、(^つ^)これじゃない何かいい顔文字あったら教えてくれお
87:名無しの与一
09/12/30 13:39:18 tl2Oa4aH
どうやら、メンヘラっぽいヤツがいるのだが、どうやって対処したらいいのか…。
何かと道場内の事に口出してかき回すのだが…。
88:かっチャン
09/12/30 18:21:47 APYoK/fg
>84
まず、無心でない状態とは、或る問題や環境等の変化について思考をし、結論を出そうとしたり一定の認識を得ようとしている状態です。
つまり、人は新しい事態に迷っている時に、無心ではなく意識が働くのです。
そうすると、迷いを無くすると無心でいられるようになりそうです。
その為には、自分が今出来ている事と出来ていない事とを見極めることが大切です。
次には、出来ていない事のうち、出来る可能性が有るものと無いものとを区別することが重要です。
例えば、貴方が射の名人になるのは充分に可能性が有りますが、魔法や超能力を使って大会で優勝する可能性は有りません。
それで、今出来ている事と、まだ出来ていなくてもこれからの努力次第で出来る可能性を持った自分・在りのままの自分を認めてあげることです。
ここまで来れば、迷いは無くなり、無心になって精一杯弓を引ける、と思います。
私からしてみれば弓道教本の内容はごく浅い幼児用プールのようなものです。
決して範士の先生を批判してるのではないことはお分かりになるかと思います。
貴方が的を気にしないと的中しないのは、無心ではなく普段の行いが悪いということですね。
89:名無しの与一
09/12/31 00:30:55 tTfmOLu9
>>88
>人は新しい事態に迷っている時に、無心ではなく意識が働くのです。
べつに迷っていなくても、おうおうにして雑念が湧いてくるのが常ですが。
どうしましょう。ww
>その為には、自分が今出来ている事と出来ていない事とを見極めることが大切です。
見極めるということは、もうすでに無心ではないですな。
どうしましょう。
>そうすると、迷いを無くすると無心でいられるようになりそうです。
あらあら、確信をもってるわけではないのかね。
いつまでも、「無心」に囚われていては、堂々巡りするだけ。
(その「無心」さえ、独りよがりの妄想)
かりに、君が「無心」で行射できているとしても、それでどうしたの、ってことね。
君の場合、そんなもの「悟り」への射でもなんでもない。
方向があさっての方じゃ、お話にならんわな。
いわば、君のはオ○ニーの射。ww
莫妄想を思い出してよね。
期待してないけど、早く無間地獄から脱出しろよな。
90:名無しの与一
09/12/31 09:42:51 ADYS05/w
直心1グラス16キロと同じ弓力で鵠心にする場合。
何キロを選べばよいのかな?
14,5キロくらいかな?
鵠心を使ってある方、使い心地等も合わせて聞かせて頂きたいです。
91:名無しの与一
09/12/31 15:34:05 WLJr4PQ0
同じ矢飛びって意味ならそのくらいだが
>>直心1グラス16キロと同じ弓力で鵠心にする場合。
なら答えでてるだろwww
92:名無しの与一
09/12/31 17:35:07 ADYS05/w
>>91
ありがとうございます。
そうです、矢飛びという意味です。
16キロよりも軽く引けてなおかつ矢飛びはそのままだったらいいと思います。
引きの体感が16キロだったりするんでしょうか?
異常に硬いとか?
93:名無しの与一
10/01/01 00:16:56 r4P8kAiZ
あけましておめでとうございます
94:名無しの与一
10/01/01 03:06:36 6VGMVCkN
>>92
別に固くない。自重が軽いせいか素早く戻るし、弓返り後何時までも回転しようとし続けないから楽。
95: 【大吉】 【1424円】
10/01/01 16:46:57 YwoPTWRM
全日本に出られるようになりたい…。
96:名無しの与一
10/01/01 19:25:29 1F0fuAnd
>86
Youtube だとそうでもないが、教本2巻の阿波範士は大離れと言うと思うが。
大平範士は射影を見たことないので、何とも。どれくらいを大離れと考えてる?
結局、大離れ・小離れと言って離れの大きさだけを論じても
あまり意味ないね。それに至る過程つまり射法そのものを見ないと。
97:名無しの与一
10/01/02 00:53:47 2AelA6PV
kazuuのブログ再開したなwww
98:名無しの与一
10/01/03 00:23:30 oEINpJcs
@[[
99:名無しの与一
10/01/03 00:24:14 oEINpJcs
かっチャンってHN変えたんだな。
100:名無しの与一
10/01/03 02:07:43 MKW4cNdP
>>96
>結局、大離れ・小離れと言って離れの大きさだけを論じても
>あまり意味ないね。それに至る過程つまり射法そのものを見ないと。
これは同意なんだが、何かしら「精神的な」話になると
何でもかんでも阿波範士が悪いように言われることが好きじゃないんだわ
弓関係の本はいま全部ダンボールに突っ込んで整理してないから確認できなくて悪い
101:名無しの与一
10/01/04 11:31:47 dEC1iEPY
離れの瞬間に緩んだり、ビクったりするんですがどうやって治したらいいですか?
102:名無しの与一
10/01/04 16:51:13 jFTeWrh8
内面の失というやつですね。
これはもう、かっチャンの出番ということでしょう。
つまらない持論をグダグダ書き込むより、困っている人を助ける方が、世のため人のためですよ。
103:名無しの与一
10/01/04 21:07:43 jDL10/Yi
ゆんでの下筋が全然張れないんですけどどうしたらいいですか?
そもそもゆんでの肩が完全に入りきってなさそうなんですがどうしたらいいですか?
104:名無しの与一
10/01/04 21:59:04 X/FU7/Ls
あいつ性懲りもなくブログ再開させやがったなぁーあんまり調子に乗ってるとチョメチョメするぞー^^
105:名無しの与一
10/01/04 22:36:53 8+fJuyxK
もうありゃ直らないだろ。
本当にお荷物だな。
106:名無しの与一
10/01/04 22:42:59 Uv/Hg9KK
>>101
「引っ張りながら」「離す」んだ
引き離れって罵る人もいるけれど、引く矢束の第一歩だと思うんだがなぁ
ビクも緩みも、単純に癖になっていると思うが、
離れの直前で離そうとしておかしくなるのなら、かけの点検もしたらどうだろう
後払いでいいから、悪癖が治ってきたんならWMの番号書いて送れお(^つ^)お待ちしてます
107:名無しの与一
10/01/04 23:34:37 RGfuvKUz
離れのビク緩みは
右手の指を意図的に開くとかはじくとかしようとするとよく起こる
指閉じたままでも滑らかに離れるもんだ
引っ張りながら離すのはいい方法じゃないか?
108:名無しの与一
10/01/05 00:46:57 YDpEMkaw
>>103
あなたの嫌いな男が迫って来たとする。あなたは腕を突き出して押し返そうとするでしょう?そんな感じ。
ところでWMてなに?
109:名無しの与一
10/01/05 07:43:43 5XxT+pSv
ありがとうございます。引っ張りながらというのは、実際に矢束を伸ばすという事でしょうか?
110:名無しの与一
10/01/05 13:47:31 lcXwwTii
>>109
最初のうちは実際に会に入った後矢束を伸ばす方法でもよいんでないかい?
引いてばっかりで押し負けちゃうと真っ直ぐ飛ばないから気をつけるんだ
かといって強引に引っ張ると今度は早気にもなりかねないからほどほどに
慣れれば実際に会で矢束伸ばさなくても
張り合い作って伸びてるだけでちゃんと離れるようになるよ
これでダメなら取りかけも見てもらわなきゃいかんね
111:名無しの与一
10/01/05 20:51:23 rAgUgIZC
いい歳こいたおっさんのくせに大人の事情もわからんのかー何度言ってもわからんのならチョメチョメしかないなー
112:名無しの与一
10/01/05 21:02:06 5XxT+pSv
>>109
ありがとうございます。
やってみました所だいぶ張りが生まれてきました。
113:(^つ^)
10/01/05 21:22:10 6UOexi/H
>>108
WM=ウェブマネー、電子マネーのひとつ
現金を相手に送るのは手間だけど、ウェブマネーなら
番号を書いて相手にメールするだけでやり取りが可能!
ウェブマネーで米も買える、素晴らしい
114:名無しの与一
10/01/05 22:11:49 F7YoAuwm
>>108
今日それで引いてみましたがなんかより上筋だけ利いてきて…
めてはうまいこといくんですけど
115:名無しの与一
10/01/06 00:00:59 m1+NdXi6
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116:名無しの与一
10/01/06 00:07:03 m1+NdXi6
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117:名無しの与一
10/01/06 00:08:26 m1+NdXi6
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118:名無しの与一
10/01/06 00:09:36 m1+NdXi6
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119:名無しの与一
10/01/06 00:10:39 m1+NdXi6
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120:名無しの与一
10/01/06 00:17:21 m1+NdXi6
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121:名無しの与一
10/01/06 00:18:16 m1+NdXi6
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122:名無しの与一
10/01/06 00:19:47 m1+NdXi6
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123:名無しの与一
10/01/06 16:14:04 m1+NdXi6
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124:名無しの与一
10/01/06 16:37:12 m1+NdXi6
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125:名無しの与一
10/01/06 21:20:27 m1+NdXi6
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126:名無しの与一
10/01/06 21:28:17 m1+NdXi6
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127:名無しの与一
10/01/07 00:03:46 Dmb3/CVm
>100
日弓連に対する主な批判は二つあって、
・精神的なことを強調し過ぎる
・大離れの射法のみを推奨
というどちらも、本多流・大射道教の流れに端を発するから特に逸話が
有名な阿波範士が標的になるんだろうね。ついでに大射道教を産んだ
本多流も本当は真逆であるのに、とばっちりを受ける。
両者の区別がついてない人が多いな。
>126 よう、久々だな。新年早々、嫌なことでもあったか。
128:(^つ^)&100
10/01/07 01:27:48 4yp/n+5k
携帯も職場PCも規制なんてひどすぎる
>>127
阿波範士に関してはとんだとばっちりだよ
精神偏重は、なんちゃって先生に多いんだろうか、それとも字面で話を読むからか、
自分が見てきた先生たちは、道場ではしっかり射技も指導する方だったけどな
大離れ推奨は、場所&教える対象で差があるんではないだろうか
自分が今いる道場ではそれほどではないですよ、ご年配の方で小離れで鋭い矢を出してる方もいるw
>>114
下筋と「使う」とどうなるか分かる?
下筋=上腕三頭筋を「使う=収縮させる」と、一つは、肘が伸展する
異論はあると思うが、大三で肘を完全に伸ばしきって下筋が硬くなってから引き分けに移ってみてくれ
それであなたの感想を教えて欲しい
大三をとる「時間」が少し長くなると思うけれど、時間の長さと、下筋を張り切れないほどの弓力の弓を使っているなら
今言った方法はできないから、弓力を下げて試してみて欲しい
129:(^つ^)
10/01/07 01:40:03 4yp/n+5k
9割がたスレ違いになるんだが、昨日遠距離恋愛中の恋人から「きっとあなたの子供ができた」と電話があった
正直言って、結婚・妊娠・出産、全ての費用の準備ができていないどころか、借金があり、
お互い長男長女でどちらの家に入るか等、生んだとしても後のことが全く霧の中だ
恋人は「おろすつもりだ」と電話口で語ったが、絶対に悲しい思い出になるからどうにかして産んでほしいと思う
んで結婚したいと思う
まずは、市販の検査薬でしか検査していないそうだから、二人で産婦人科へ行こう、
そして検査結果が出てから、話あおう、そう思うんだが、アドバイスがあったらほしい
俺は廃弓になるだろう(←スレ違いにならない1割の要素)けれども、
家庭で家族円満の弓を引ければそれでいいじゃないかと思う
130:名無しの与一
10/01/07 02:40:27 RJ/LKBRs
>>129
きっとあなたの子供ねぇ・・・お前の子供前提で話すか
さっさと嫁の所に行ってやれよ よく知らねーけど有給ってこういう時に使うんじゃねーの?
霧の中もクソもねーよ,やることはわかってるだろう?準備とか金とかどうにかなるから実際
あと弱気後ろ向き発言かっこわりーよ プラスにしてくれこの出来事
人として選手として更に強くなるためのチャンスなんじゃねぇの?しっかり拾えよ
あー全く関係ないけど俺の6月に産まれるんだ お前と似たような感じですよ
131:名無しの与一
10/01/07 12:44:00 anEVwRUA
>>129
「きっと」とは普通つけないと思うぞ。
他にも肉体関係を持った男がいるからこそ「きっと」がつく。
君の子ではないかもしれないね。
弓道の話に戻そう。
鮫皮を貼るのは絶対に止めたほうがいいと思うのだがどう思う?
132:名無しの与一
10/01/07 13:31:42 2OAHdBcP
「きっと」が
「子どもができた」にかかってたら問題ない
「あなたの」にかかってたら・・・orz
133:名無しの与一
10/01/07 14:36:31 Dmb3/CVm
日本語ってむずかしー。
ま、おろす理由とおろした後、二人の関係をどうしたいと
女が考えているのかによるな。続けたいのなら、結婚フラグ。
おろさない方向での話し合いも可。そうでないなら、これを
契機に…。
落ち着くまで10年ぐらい弓引かなくてもいいんじゃないか。
実際、30-40代前半の男は好条件がないと続けられん。どの道場でも
少ないと思うぞ。こうして主婦の弓引きばかりが激増。
しっかりした爺ちゃんがいないと、体配>>射技の傾向強まるわけだ。
134:名無しの与一
10/01/07 18:28:04 ZLbhtLRv
>>97
kazuuって確かブログに「GANTZ」を無断掲載した奴だろ?
まだ生きてたんだ
135:名無しの与一
10/01/07 19:33:46 vYIhW/PQ
>>131
鮫皮って使った事無い。どんな感じ?見た所ツルツルしてそうだけど
136:名無しの与一
10/01/07 19:44:43 anEVwRUA
>>135
鮫皮は、その形状のまま維持出来る事とヤスリをかける事によってツルツルの浅いカケ溝を作ることが可能。
作ったのだが・・。暴発したりしてやりにくくてしょうがない。
止めた方がいい。
137:名無しの与一
10/01/07 21:28:13 hMwI0iO/
>>128
朝に見たもんですからうろ覚えで引いたもんですから
だいさんでゆんでは押し切る感じで引いてみたんですが
始めてやっとこさ一年ぐらい経つものですから前日の二十八射連続立ちの疲れがたまってか
すぐに上筋が疲れ実感がわきませんでした
明日はゆさげしてみます
138:(^ っ^)
10/01/08 00:20:36 K41ZCBKJ
玉砕したのでテングの鼻を小さくしたらワケわからなくなったでござる
金の問題を解決できるのは金
>>137
上筋ばかりが疲れるのは三角筋がメインで働いていて上腕三頭筋が使えていないと思う
何ももたない状態でも上腕三頭筋を硬くすることはできるだろう?
そこから始めてもいいと思う
139:名無しの与一
10/01/08 01:22:56 KzF1T3Z9
>>136
溝の形を維持出来るってのは良いですな。ただ個人的には溝がツルツルしてる必要はないかな・・・
征矢弓具のブログにも常用は止めた方が良い、とあるし。カケのプロがそう言うなら俺は従おうかなw
140:djぃlllyl
10/01/08 12:31:32 qLBfZcHJ
私は弓手の人差し指を的の方へ伸ばさずに、弓を握っています。
この形で少し慣れてきて、弓返りもまずまずになってきていました。
今日は弓の引き初めで、庭の雪を片付けて、巻き藁で練習しました。
数射をしてフト気づくと変なのです。
今度は、そのことを確かめようと、無心にならずに引いてみました。
そうしたら、私の射から弦音が消えていました。
弓と弦の間隔は、上関板の部分でも5ミリ程度ですね。
きっと、弓手のひねりが強くなった為だ、と思います。
皆さんにも、このような経験がお有りでしたら、ご紹介下さい。
141:djぃlllyl
10/01/08 12:33:06 qLBfZcHJ
今、全弓連のネットに出ている天皇杯の映像を見ました。
拡大やコマ送りなどが出来るので、それなりに分析できるのです。
その感想ですが、会での詰め合い、伸び合い、特に離れの瞬間に弓手に緩みが出てしまいますね。
離れの瞬間に、肘から手首の詰め合いが解けて、その分緩んでいるようです。
弓が落ちても弓返りした方が良いのでしょうか。
私には、弓返りの為に射が台無しになっているような気が致します。
これは、自戒を込めて書き込みました。
142:djぃlllyl
10/01/08 12:34:51 qLBfZcHJ
古来から有る日本音楽には、一拍子がありますね。
一拍子は、ことの前後は考えずに、今を生きる音楽です。
これは、武道にも通じていると思います。
今、為すことを為す。
弓の場合は、この一拍子を八つ重ねて射法八節です。
全弓連ネットで見た入賞者のほとんどは、離れから残身に至る動作が二拍子になっていました。
弓手は一度肩より下にさがり、弓返りの完了とともに再び肩の高さに戻されています。
妻手はというと、離れの連続性から見ると中離れなのを再び加速して大離れまで持っていっています。
中には、中離れからその方向性を修正して、残身を作っています。
このように二段階で離れを行うのは、理想的な残身を意識したせいでしょう。
一拍子とは、今自分に出来ることはこれしかない、ただ一つのこれをやる、という靜慮・三昧そのものです。
何一つ飾ることの無い剥き出しの魂、そんな弓を私は引きたい。
143:名無しの与一
10/01/09 00:11:41 mEY31cx4
>>138
報告よろ
てゆーかここ荒らしてるのって例のブログ主だよね?
彼のことが書かれたのを流す用にうんこ連投だもんな
144:名無しの与一
10/01/09 00:21:18 v+TuAdtt
てか今気づいたんだけど、みんなブラウザでスレ見てるの?
専用ブラウザで見れば不要なレスは消してしまえるよ
145:(^ つ^)
10/01/09 01:45:29 sEKgimGd
>>143
何の報告?
わざわざ荒らすほど頭が残念なブログ主だとは思わないけれど
146:名無しの与一
10/01/09 12:26:05 3+wNeSSV
>128
阿波・神永・安澤範士は射技をきちんと練磨した上で、
精神的なことを加えた。その射に対して好き嫌いはあると
思うが、自分のやっていることを深遠なものに見せたい後世の方々
が精神的なことのみに焦点を当てて話すから、射そのものを見失う。
で、>143はどうして阿波範士のみがとばっちりだと思うの?
小離れについては…んー、自分のいる地域はほとんどいない。
昔、捻りきった離れ(正面打起)で電光石火の離れの人がいたが、
その離れだと六-七段には昇段できないと言われて変えちゃったよ。
「そんな段なら不要」と啖呵を切って欲しかった。
147:ghyh
10/01/09 15:33:31 /lkHevUK
jk
148:(^ つ^)
10/01/09 23:11:48 sEKgimGd
>>146
146さんが言うとおり、「射技をきちんと練磨した上で」の話なんだが
そのバックボーンを完全無視して批判を受けることが非常に多いと感じるから
一番とばっちりなのは本多流の方々だと思うw
阿波範士のみがという意図は無かったけれども、
阿波範士が代表格として取り上げられることが多いと思い、そういう書き方になったわけでした
149:名無しの与一
10/01/10 11:48:33 y9d9Ova1
胴作りが昔から不安定なのだが、どうやったら強力な胴作りが出来るかな?
150:名無しの与一
10/01/10 15:18:17 em/jGTXe
「胴造りを崩さない射」を目指した方が近道
151:名無しの与一
10/01/10 15:29:15 y9d9Ova1
>>149
ありがとうございます。
胴造りを崩さないというのは、何かトレーニングをされているのでしょうか?
152:fggj
10/01/10 15:37:37 mNgUsKJY
胴作りが昔から不安定・・・ということは、的中重視でやってきたのでしょう。
恐らく、足踏みにも確信が無いのでは・・・
胴造りを的中率アップの小細工に使うのなら、いくらアドバイスをしても何かのきっかけで、また変更してしまうでしょう。
そうした繰り返しで、未だに胴造りが出来ていない、ということでしょうか。
こうした質問も安易です。弓歴が長いのなら、まずどのような弓を引きたいのか、ご自分の道を持つことです。
153:名無しの与一
10/01/10 15:54:16 y9d9Ova1
>>152
足踏みに確信を持つにはどうしたら良いでしょうか?
154:fggj
10/01/10 17:14:30 mNgUsKJY
まだ、基本が出来ていないようですから、自分を滅して師の指導を仰ぐことでしょう。・・・弓歴も年齢も関係ありません。
そして、基本という雛形を身に付けて、その後自分らしい射が出来て初めて確信に近付きます。
恐らく今までのことは・・・基本を身に付ける前に自分流に走った結果でしょう。
修練の下積みに戻れるか、どうかの問題です。
155:名無しの与一
10/01/10 17:31:18 y9d9Ova1
>>154
分かりました。
もう一度最初から習いなおします。
156:名無しの与一
10/01/10 17:53:05 y9d9Ova1
>>154
fggjさんがもし胴造りや体幹を鍛えるために筋力トレーニングをされていたら、参考にしたいので教えて頂けませんでしょうか。
157:fggj
10/01/10 18:02:07 mNgUsKJY
余りに率直で・・・失礼をお詫びします。
私の足踏みは、矢尺の幅で広めです。
角度は自然なら60度位ですが、わざと狭めの45度位にしています。
その結果、自然に外側に踏ん張りが効き、前後にも強くなります。
胴造りのポイントは、腰の出し入れだと思います。
ヘソが上を向くか、下を向くかです。・・・近的・遠的で使い分け。
その上で、腹回りには骨が無いので、筋肉を適度に締めることでしょう。
普段のトレーニングとしては、四股を踏んだり・背骨を中心にして上半身を左右にひねる運動をしています。
これらで、股や腰、それにわき腹の筋肉が鍛えられるように思います。
158:名無しの与一
10/01/10 18:06:22 HmDAes7s
コテハン付けてくれるとNGし易いから助かるわ
159:名無しの与一
10/01/10 18:11:10 y9d9Ova1
>>157
ご親切にありがとうございます。
少し狭くした方が前に倒れにくそうですね。やってみます。
四股を踏む事や背骨を中心とした回転運動はやった事がなかったので、是非やってみたいと思います。
背骨を中心とした回転運動は真っ直ぐたって、軽いウエイトを持ってやってみようと思います。
160:(^ つ^)
10/01/10 20:03:39 9V1FrWWS
↑の流れ、これ自作自演だと思ってた
>>157に「腹回りには骨が無いので」って話が出てるから、やっぱりある程度はやった人なんだと思うけれど、
なんで時々ところどころでモノスゴイ話を始めてしまうんだろうか
161:名無しの与一
10/01/10 20:40:28 TMQvFKYd
>>160
京大だからしかたない。
162:fggj
10/01/10 20:50:04 mNgUsKJY
胴造りで五胴は出てきますが、もう一つひねりが論じられることは少ないようです。・・・広い足踏みは、このひねりにも強いです。
最近流行の狭い足踏みを見ると、射の深みが感じられません。
つまり、離れの衝撃で体幹がブレる。
天皇杯獲得の某範士八段なんかも、映像を見るとそうだね。
163:fggj
10/01/10 21:00:06 mNgUsKJY
私が十四立目で書き込んだのは、レス147が初めてです。
その前のは、なりすまし君がコピーを貼り付けたんだね。
HNまで、無断借用だよ。
あんまり、おじさんのコピーを使うと、俺もブランドか、と思い込むから止めたほうがいいよ。
164:名無しの与一
10/01/10 21:14:50 nYORDKaw
どっちもまとめてあぼ~んですっきり
165:名無しの与一
10/01/10 22:11:27 y9d9Ova1
>>162
fggjさん、足踏みは広く角度は45度くらいをやってみた所、残身にいきやすくなりました。
166:ghjm
10/01/10 22:17:40 mNgUsKJY
良かったです。
167:(^ つ^)
10/01/11 00:07:41 wGKophcs
>>166
どうせならコテハンつけてくれw
>>162で言う>胴造りで五胴は出てきますが、もう一つひねりが論じられることは少ないようです。
に関しては、両肩の出入りやねじれやの話題になると指摘されていることが多いと思いますよ
明日は彼女に会いに行く
経済的理由でを確認しあった後で会う最初になるんだが・・・何をいうべきか分からない
相手の顔を見れば何か出てくるだろうと思って行くんだが、行き当たりばったりすぎるかもしれないな
168:名無しの与一
10/01/11 00:54:34 ksbd/C38
>>164
色々長文書いてるんだろうが、ほんと透明あぼんで何もなしだなw
どんだけくだらん書き込みでスレが汚れてるかよくわかるわ~
169:不言真如
10/01/11 01:37:31 t+pNOfZt
コテハン、決定。。。
170:名無しの与一
10/01/11 07:09:49 cRTklnbw
>>169
電気風呂っていくらぐらいするんですか?
171:名無しの与一
10/01/11 09:19:56 cRTklnbw
>>169
コテハンはレフティーか、かっチャンに統一して下さい。
172:名無しの与一
10/01/11 14:53:37 cRTklnbw
>>169
かっチャンは、まだ的前に立ってないんですか?
巻きわらばかり引いていて上手くなってるか分かりますか?
173:かっチャン
10/01/11 16:59:30 t+pNOfZt
>170
電気風呂は普通の銭湯の薬湯と同じように設置してあるので、銭湯料金でOKです。
ネットで探せば、関西じゃなくてもたまに在ると思うよ。
>172
高校以来、34年のブランクがあるから、37年近く的前は無しです。
自分の射の確認ポイントは、たくさん有ったよ。・・・今も有るけど・・・。
その一つずつが、仕上がると気にならなくなるよね。
例えば、初めの頃は打ち起こしで右肩が上がったりとか、大三に移る時に体幹がひねられて左肩が後ろに回るとか、だったよ。
その頃は、矢飛びも真っ直ぐではなく、着点も的の周りに散らばったね。
だけど、自分の射の基準を初めに決めていたんだ。
それは、会での矢筋通りに矢が正直に飛んでいくこと。
そして、色んな射の映像や写真の分析も含めて情報を収集したよ。
それに自分のアイデアも加えて、先の基準に合致するかを実際の射で検証をする。
初めから自分の基準に反すると思われることも、一通りやってみるのが大事かなぁ。
そのアイデアを切り捨てる決心がつくし、射の引き出しが増えるから。
そうして、自分の基準に反するアイデアは排除し、それに合致するアイデアを実践して練習してきたんだ。
練習でたくさんの技術や知識に出会ったけれど、どんどん不要なものが減っていく感じです。
今、自分の中で大事な考え方は、『持ちつ持たれつ』だね。
自分の意志とからだと道具・・・自分が主人公で、からだや弓を使いこなしてやろうと思っていると、からだや弓の本当の姿に出会えない。
矢を正直に飛ばすのは、自分の意志よりからだや弓の方が上手なんだね。
だから、からだや弓などがその能力を発揮できるように、心配りをして弓を引いてやるんです。
恐らく、七段と八段の境界は、この辺だと思います。
今は、弓歴が浅いからまだまだ荒い射だけど、その方向性で統一感の在る射を練習しています。
174:名無しの与一
10/01/11 18:35:50 cRTklnbw
>>173
的前は距離感と空間の感覚が巻きわらと全然違うので、的前に立たないと距離感と空間に負けてまず間違いなく自分の射が出来ないと思うんです。
巻きわら稽古自体は昔から巻きわら3年といいますし、長くやって的前に立つのはいい事だとは思いますが、的前で練習しない限りまず的中は出ないと思います。
巻きわらで身につけた核を的前での距離感と空間で応用する練習がまた1年以上かかると思いますよ。
そして普段の自分の射は巻きわらの場合、第三者が見てなおかつ自分もビデオで確認するくらいしないと正しい射になってるかどうか分からないです。
早く的前稽古を積むのをお勧めします。
175:かっチャン
10/01/11 18:58:18 t+pNOfZt
>174
私に、レス172で巻き藁での上達を尋ねているところからすれば、貴方は巻き藁3年の経験が無いようですね。
人の思惑と先の事実とは往々にして異なるものです。
弓射の上達も、思惑を捨てて、現前とした射の事実と向かい合うところから始まります。
ご心配には及びません。
176:名無しの与一
10/01/11 19:12:43 cRTklnbw
>>175
現前とした射の事実というのは、的前に立ってこそ分かるものだと思います。
的に中ててこそ自分の理論の正しさが実証されます。
的前に立たないということは、まだ実証されてないんです。
的に向かって結果を出せば「かっチャン理論」は正しい、でもそれは恐らく崩れるでしょうね。
的前での距離感と空間を克服するという大事な過程を踏んでないのだから。
もう3年過ぎてるのだから的前に立たないと何のために生きてるか分からないような気がしませんか?
177:名無しの与一
10/01/11 23:26:53 t4BJqm0k
>162
>広い足踏みは、このひねりにも強いです。
>最近流行の狭い足踏みを見ると、
広い足踏みは胴造りが難しくなるから、そこを超えないと強みにならないな。
最近、狭い足踏みが流行っているの? 知らなかった。
178:かっチャン
10/01/12 00:36:10 uK68cx6U
>176
初めに、「もう3年過ぎてるのだから」というのは、曲解です。
さて、射と道具は整合性が問われるものです。
一通り、巻き藁で自分の射が固まれば、今度は道具を揃えます。
弓師が作ったものを手に入れるのではなく、私の弓を作ってもらいます。
カケや矢も同様です。
それらを使って、射を調整するのにしばらくかかるでしょうね。
的前に立つのは、その後でしょう。
学生さんの様に、決められた年限で結果を出す必要もありません。
確かな一歩を積み重ねれば、良いのです。
私にとっては、巻き藁は安土、針金の輪は6寸的です。
そこには、十全とした弓道があります。
前レスで、「ご心配には及びません。」と申し上げましたが、貴方のレスは、私にとって何ら役立つ様なものではありません。
これ以上の書き込みは迷惑です。
179:かっチャン
10/01/12 00:55:14 uK68cx6U
>177
私の場合は、身長の約58パーセントが矢尺で、足を開いた幅だよ。
これって、江戸時代の標準的な幅と同じでしょう。
自分や周りの人の幅を確かめてみれば・・・。
180:名無しの与一
10/01/12 09:26:11 /COuFuOK
>>178
道具は何処で頼むつもり?或いはどういうものを想定してる?
ここまで書いたら言おうか?
181:名無しの与一
10/01/12 09:46:37 NaVB14DD
リーチ次第だけど・・ かなりタグリ引きじゃないか?
182:名無しの与一
10/01/12 09:58:00 x9fcOr3x
>>178
>貴方のレスは、私にとって何ら役立つ様なものではありません。
>これ以上の書き込みは迷惑です。
自分個人にとって役に立たないから書くなということは、いったいどういうことでしょうか?
あなた個人のブログならいざ知らず、このような掲示板で言えることではないと思いますが?
そのような個人個人の勝手な言い分が通用するのなら、
まず最初に、あなたの書き込みがこのスレから排除されてしかるべきです。
ここを読むほとんどの人にとって、あなたの書き込みはまったく役に立っていないはずです。
そんな自分勝手なエゴむき出しの発言を他人に浴びせかけるような人格では、
弓を極めるなんて、及びもつかないと思いますよ。
183:名無しの与一
10/01/12 13:10:47 QNXWQuMa
>140
弦音がしないというのは、弓を握っている為です。
握って強く捻りを加えている為、会の時に弦が上関板よりかなり左を通り、関板もかなりの角度で反時計回りに捻られていると思います。
弓は竹でしょうか?グラスでしょうか?
竹でしたら遠からず弓に首折れなどの損傷が出ると思います。
角見とは離れの瞬間に親指の根元が弓の内竹右角を押し開く為に出来ます。
手の内は角見の働く分だけ力を加えるだけで十分です。
範士の先生方の弦音は澄んだ濁りの無い音がします。
合成弦と麻弦で弦音も変わり、合成弦を使っていると若干金属音がするものですが、範士の先生方は合成弦を使ってもやはり澄んだ弦音がします。
それだけ手の内が出来ているからです。
184:名無しの与一
10/01/12 13:29:37 QNXWQuMa
>>179
細かいことですが、矢尺=矢の長さ であって、足踏みの幅ではありません。
足踏みの幅=矢束です。
矢尺分だけ足踏みの幅があると開きすぎです。前後に弱くなり、胴造りが安定しません。
一般的に高齢者や女性は足踏みが狭い方が多いですが、これは世の中の傾向ではなく、単に足の筋力の衰えにより広い足踏みが出来ないためです。
若い男性の場合はやはり足踏みの幅は矢束の長さで角度は60度というのが尤も多いと思いますし、実際に一番胴造りが安定します。
185:名無しの与一
10/01/12 14:20:08 LY9Jvu9j
>>178
周りの人から変態って言われませんか?
186:名無しの与一
10/01/12 14:40:41 LY9Jvu9j
>>178
そんな悠長な事やってたら、的前に立つ前にあの世に行ってるな(笑)
ご愁傷さまです。チーン。
187:かっチャン
10/01/12 14:44:25 uK68cx6U
>180
2ちゃんらしい、横柄者か。
弓道具を作る職人を育てるのは射手だし、その逆もある。
お互い、持ちつ持たれつで、助け合うものだね。
ユーザーが職人さんに難しい注文を出すのも、弓の実力のひとつでしょ。
その中には、ユーザーの無茶な要望もあるだろうけれど、それを何とか解決したり、ユーザーの射を実際に見て、ユーザー自身が気付いていない射の特性に合う道具を提案してくれる場合もあるでしょう。
私が発注するのは、そうした職人さんです。
しかし、この希望は私の立場そのものだから、職人さんの心を動かさなければなりません。
つまり、職人さんがこの人の為に作りたい、と思える射手になることが大切ですね。
お金の方は、500くらいの予定です。
道具をどのように変えるかは、各自バラバラだから、君の参考にはならないだろう。
188:名無しの与一
10/01/12 14:58:55 LY9Jvu9j
>>187
500円で何を買うつもりですか?
500万円だとしても何を買うつもりですか?
弓の道具買った事ないんじゃないの?
189:名無しの与一
10/01/12 15:25:08 LY9Jvu9j
>>187
そうか500万も金持ってるわけないな(笑)
まともに働いてても500万も弓にかけれないね。
まともに働いてない人が500万なんか無理。
というか、500万って何を買えばそうなるのか、それが知りたい。
190:名無しの与一
10/01/12 15:36:22 NaVB14DD
みんな何をスケールの小さい事を!!
かっチャン様は 道場からお建てになるのだよ! (一人立ちの道場)
191:名無しの与一
10/01/12 18:00:39 QNXWQuMa
>>187
今までオーダーで弓具を求められたことは無いのでしょうか?
弓具の世界は私の知る限り、職人の作った道具を射手側が使いこなすというものです。
きちんとした職人は、道具が出来上がったときに、購入した射手に使い方やどのように引いて欲しいなど、細かく説明をします。
高段の射手になるほど、カケならカケ師の思いを感じながら道具を使いこなすものです。
私の師は、どんな道具でも射法が適っていれば中ると言い、私の弓とカケで一手束ります。
かつて、無争先生は若かりし頃、自分に合ったカケをどうしても欲しくて、自らカケ師となり無争カケを作るようになりました。
全日本選手権級の選手も愛用する弓を作る某弓師は、自分の弓を引きこなせない射手は買ってくれなくて結構という姿勢です。