09/06/05 20:14:15 rytl95st0
>>252
そういうことですね。
南郷の型論は見せるための型、いわゆる『表演』の型を「武道の型の意義」として説いてしまう愚を犯しているわけです。
技や体を練るための本来の型の意義を完全に捨ててしまっておいて、武道としての型を説くという噴飯物の自称科学的(笑)
型論を「武道の科学」の中でも展開しています。
この本の中では松濤館の型を散々批判しておいて、自身はさらに改変した型を捨てず、意味をデッチ上げて威張り腐っています。
ここはまた詳細に斬って捨てましょう(w
「勝負心養成」などと言葉を弄んでいますが、中身はなんという事は無い。
表演の型を通して「空手勝負のお芝居」を『演じて』いれば、心が鍛えられるという程度の馬鹿げた話です。
それならプロの役者やアクションスターの方が遙かに「勝負心の養成」がされるでしょう(笑)
こんな低度のくだらない論を「敵に塩を送る」価値があるだの、「高度に認識の問題」だの、
癲狂院レベルの妄想賞賛をする>>246のような洗脳会員は誠にお気の毒でございます(w
頭の弱い人々ほど過激なアジテーション文体にまやかされるのでしょうが、南郷の著作を全て平易な
文章に翻訳してしまえば、彼らオツムの弱い方々にも、そのバカさ加減が少しは理解できるんじゃないですかね?
(w