09/05/27 11:57:12
しかし、何といつても、ボクシングはあの場内の興奮に包まれて、ぢかに見るべきものだ。テレビだと、十五ラウンドが、スカスカと機械的に運ばれる感じで、興味は半減する。
…解説のアナウンサーの声が全くいやらしい。ボクシングの試合なのだから、もうちよつと粗野な、ボクサー風に鼻のつまつたカスレ声のアナウンサーを連れて来るわけには行かないのか。そのはうがずつと気分が出るぢやないか。
いやに澄んだ高い声の、中性的なアナウンサーの乙リキにすました軽薄な「客観性」、これこそ、ジャーナリズムのいはゆる「良心的客観性」の空虚ないやらしさを象徴してゐる。
三島由紀夫
「日録(昭和42年)」より