10/06/13 19:24:10
ちんちゃんです。
湯原家の議論が始まったようで。
取るに足らないことだけども、無視できない面々がいるんだなあ。一応答えておく。2回に分ける。
1
茨城土浦の隣町である阿見町は、元来は海軍の街である。
それ以外は数少ない農民しかいなかった。だからそれ以外の現在の阿見町民のほとんどがよそ者か自衛官である。
大戦当時は阿見村と朝日村とに分かれていた。
茨城大学農学部のあのだだっ広い敷地は海軍兵学校の跡地である。
少し進むと当時の内閣総理大臣だった林銑十郎の忠魂碑がある。諸君の中には補給処の前まで敷かれていた線路の跡を覚えている者もあろう。あれは三菱化学の弾薬厰まで続いていた。湯原家はそれ以南に小集落を形成しており、かなり限定される。